自我とは寄生虫

至福に至れない

残念ながらどう見積もっても自我とは寄生虫みたいなものです。なぜか????野生動物は至福の中で一生を終えます。人間は熟睡中の眠っている間だけ至福の中に居ます。つまり自我が活動していない時間のみが至福で自我が活動中は至福から離れる、、、自我は人間にとって害でしかない、、自己防衛とは名ばかりの寄生虫です。だから過去の人生をいかに美談にしてみてもそれは寄生虫の人生です。ここまで過激な表現にしないと人は美談でこの事実を忘れます。

未来もない

寄生虫に寄生された状態で輝かしい未来って残念ながらないです。サバイブは間違いなくできるでしょう、だって自我という寄生虫が生き残るために何でもやりますから。自殺????とんでもない、、恐怖心をたきつけてそんなことはやらせませんよ。自我は感情をコントロールしますから、、恐怖心を煽ってそうさせないことなど簡単なことです。

見抜く

残念ながら我々は寄生虫のことを「私」と呼びます、、だからその度にネガティブな感情が生まれているのです。「私の家」と思考が湧くたびにネガティブな思考が現れます。これが寄生虫がこの体の中に根付いている証拠です。リラックスして本当の我々に戻ろうとすると、、、つまり思考を止めて今に至ろうとすると、、、イライラ、怒り、恨み、不安、、、という感情が突然湧き出し、思考の渦に巻き込まれます。寄生虫が感情思考を操って寄生虫のストーリーに引き戻すのです。エネルギーを思考に向けさせることで寄生虫は存続を図ります。

極端

自我を寄生虫だと極端に呼ぶのは、、、、この自我は美談すらも利用してそのことに気づかせないようにするからです。あの人は素晴らしい人、この人は素敵、、こうやって事実をうやむやにします。つまり性格が良い人ほどに、、、真実から遠ざかり苦しむのです。自我とは寄生虫です、やることがエグいのです。寄生虫を飼った状態での過去、未来に至福はないです。

(Visited 4 times, 1 visits today)