自我(寄生虫)と自我(寄生虫)の会話

戯言

私を主語にした世の中の会話とは自我(寄生虫)と自我(寄生虫)の会話です。つまりこれは戯言です。つまりこの会話には一ミリも意味などありません。この会話を大切にする必要は一切ありませんし、重視する必要もない、気にする必要もないのです。むしろ自我(寄生虫)がどのような会話をするかだけ観察すればいいのです。あいつ(寄生虫)あんなこといいやがって、あいつ(寄生虫)俺がいないとこで影口言いやがって!!!みたいに気にしたら負けです。自我(寄生虫)が発する言葉を信じちゃだめです。

心配も期待もしない

人生何にも面白いことないし、これから俺(寄生虫)はどうしたらいいんだろう????このような心の声を気にしないでください。心配も期待も何もしなくて大丈夫です。寄生虫がこのような不安を湧き起こすのは、そこから思考の渦を起こして、、その渦を餌にするのが目的です。自作自演です。だから無視してください。そこに意識を向けて解決方法を考えることこそが自我(寄生虫)の作戦です。

あなた(寄生虫)の将来が心配なの

親の自我(寄生虫)は言うでしょう、あなたの将来が心配なの、、、と。無視です、完全に無視です、、、自我(寄生虫)は幸福になる方法を一切知らないのですから、、そんな存在から将来の心配をされる筋合いがないんです。本人(寄生虫)が不幸だからこそ、、、、心配をしています。人の心配をしている暇があるならば本人(親)が幸福になる方法を知ったほうが良い、とアドバイスしてあげてください。憎むべきは親ではなく親の中の寄生虫(自我)です。

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