無意識の自我(寄生虫)の動き

指摘

無意識の自我(寄生虫)の動きを他人の中から発見した際に指摘をするとどうなるか???恐らく怒りを露わにしてくるか恐れ慄いて逃げます。どちらにしてもとてつもない緊張感を相手に強いることになります。なぜか????自我とは無意識活動であり、、意織してしまったら消えてしまうのです。ゆえに相手の自我(寄生虫)はそれを指摘(意織化)されることを強く強く避けるのです。つまり相手の自我(寄生虫)が暴れてその事実をうやむやにしようとします。

ドラマ

自我(寄生虫)は無意識下で、、人間ドラマを作るのが大好きであり作らなくては消滅してしまいます。そのため無意識に、、相手を挑発したり、マウントを取って苦しめたり、もしくは嫉妬妬みを誘導したりと、、、余念がないのです。そこを突く、、あなたは今私(寄生虫)にこのようなことをしてこのような感情を起こそうとしていますよ!!!と指摘すれば「本当だ!!!!」が起こってしまい、、つまり自我(寄生虫)の手技が見破られてしまうのです。これをすると今後将来この手技が使えなくなってしまいます。これを避けたいのです、やっていることは無意識下でこそ行われるのであって、、まさか自分が、、マウントを取ったり、相手に妬み嫉みを誘導したり、混乱させたりをしているとは自覚していないわけです。自我(寄生虫)の動きは全て無自覚なのです。

無自覚

自我(寄生虫)の動きは無自覚下で行われ、、全自覚とは、、自我の動きの解体を意味します。「私」が「あなた」に手技を仕掛ける、取引を行う、、のは、、、「私」と「あなた」の戦いであり、ドラマであり、、これによって、、、「私」が生存していくことこそが自我の狙いです。喧嘩を売って「私」を強烈に自覚したいのです。「私」はこうやって生き延びます。そしてこの世界に「私」が強烈に存在する以上、、生き延びれはしても幸福には絶対になれないのです。

自我(寄生虫)を殺す

自我の動きを指摘するとは自我の腕をもぎ取るようなものです、、ですからこれを自我は強く強く抵抗します。逃げる怒る、、なんでもします。実を言えば、、相手の自我を指摘する必要はありません。この指摘は多くの場合上手くいかないのです。そうではなく相手の中から無自覚な自我の動きを観察するだけで十分です、、他人の自我の動きから、、自らの自我の動きを理解し、、自我を解体していきます。それで十分価値があります。周囲の自我を解体するなど、、これは争いの種でしかなく、、意味がないのです。

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