仲の良い友人

それでも

私が自我をそれでも寄生虫扱いするのは、、、仲の良い友人に囲まれながらそれを見抜くのが実質不可能だからです。心からの思いやりをもった付き合いをどうして寄生虫の付き合いと呼ぶことができるでしょうか????だから騙されるんです、、だから自我にコテンパンに騙されます。寄生虫と呼ぶこれは方便ですがそこまで俯瞰して初めて、、本当の意味で自我(寄生虫)を許せるのです。全員がこの自我(寄生虫)によって苦しんでいる仲間なんです。例外なく全員が寄生虫保持者であり、、被害者です。

救う

実は自我を寄生虫と見抜くことは相手を救うことになります。相手の言動を注意深く観察してあげてください、、、間違いなく、、その自我は損得、メリットデメリット、、でしか動くことはできません。自我(寄生虫)とはそのようなものなのです。ですから相手の動きに失礼があっても、それは自我(寄生虫)のデフォルトなのです。自我の動きを俯瞰できる数少ない賢者がそれとは違う行動を起こすだけです。だから許すのです、全自我の行動を許します、、勿論被害者にはならなくて大丈夫、ただ許すのです。

裏切り

自我(寄生虫)に振り回された人生は苦しいのが基本です、何か偽りの幸福を目指していないと苦しいのです。ですから表面上の裏切りはあるでしょう、、、そこで反応しないことです。そこに反応するのは自身の自我(寄生虫)です。その裏切りを利用して相手(寄生虫)を恨み、、、こちらの自我(寄生虫)が思考活動を活発化して喜びます。その手に乗ってはいけません。

(Visited 1 times, 1 visits today)