ペインボディ

暴走の終焉

自我ペインボディ

なんで自分はもっと評価されないんだ???なぜもっと高い評価を貰えないのか????悔しい。。。。これペインボディが意図的に発した花火です。問題が無くなると、、、、世間的には問題が無くなってしまうと、、、、ペインボディが騒ぎ出し感情の花火を打ち上げます。ドカンドカンと、、すると、、、この不満足感の原因は何だ????そうだ、、、もっと評価されるべきだからだ!!!!!となるんです。もっと大切にされるべきなんだ、、誰から?????周囲からだ!!!!!となります。

ドカンドカン

問題が無くなってしまったら、、、ペインボディも、自我も活躍する場所がない、、、、何からも守る必要がない。。。まずい、、、、ペインボディが感情の花火を打ち上げます、、、不満不満、、イライラ、、、この不満はなぜ?????私がもっとモテていないからだ、、私が全く実力通りに評価されていないからだ、、なぜ彼は私の良さが理解できないんだ?????

突然の理解

この仕組みが理解できますと「静寂」になります。ペインボディが花火を打ち上げない、、、なぜ????だって打ち上げても意味がないから。。。打ち上げてもそこから思考の渦を起こしてくれないならば、、やったってしょうがない。。。。この作戦が突然止まります。ペインボディ自我システムの最強の戦略が突然消えます。

観察対象

分かってくると

分かってきますと、、感情はただの観察対象になります。。この感情、、イライラ、ムカつき、悲しみ、ハッピー、、全部が全部ペインボディーが湧き出す、、、ペインボディーの維持システムです。イライラが湧き、、次に犯人探しが始まる、、つまり思考のグルグルが起こる、、、自我システム発動です。この思考をペインボディが食べる。私ストーリーは維持され、、ペインボディも維持される。。。。

なんという簡単なシステム

分かっちゃうともう簡単なんです、、はっきり言って超簡単。感情は対象に向かって起こるのではなく、、ただ起こるのです。。。そして勿論頭を叩かれれば、、「怒り」が起きますが、、これも結局はペインボディを維持するためのチャンスでしかない。怒りが湧いたのはなぜだ?????「私がこの人から叩かれたからだ」ということです。ストーリーが生まれ、、なぜ???なぜ??なぜ???という思考の渦が湧く、、これをペインボディーが食べる、、、自我が肥大化する。。。はい自我システムが安全に維持されます。

ペインボディに騙されてそのまま死ぬ

多くの方はペインボディ存在を知らずに知らずに知らずに死にます。何も気づかず、、毎日毎日イライラ不安、怒り、恐怖、、を味わいまくって、、しかもそれが自ら起こしているとは露知らず、、、、原因を外に向け中に向け、、、思考を回しそれが餌にされ、、、自我が肥大化し、、、それに気づかずに死ぬのです。

自由に動けない

なぜ?????

本当は動きたいんです、でも動けないんです、、だって不安や恐怖が勝手に湧いてきちゃって。。。。。どうすればいいんでしょうか????簡単です、感情のシステムを理解するのです。感情がどこからやってきてそこからどう機能するかを理解するのです。そうすれば動けます、だってもう感情は感情に過ぎず、、そこに振り回されることがなくなるからです。

でも不安が湧けば不安ですよね????

不安が湧いたら不安なんですから、、、どうしろと??????不安はなぜ湧くのでしょうか????なぜ不安が湧くのですか?????ポイントはそこです。。。なぜ不安が湧いたのでしょうか??????それは不安になる要因があるからですよ、ニュースを見れば、TVを見れば、怖いのばっかりじゃないですか!!!!!違うんです、、不安は勝手に勝手にペインボディから起こったのです。ペインボディがガツンと花火を打ち上げたのです。

維持

ペインボディはネガティブな思考を餌にして肥え太っていますから、、これが欲しい、、、お腹が空くとこいつをガツンと欲しくなります。そこで、、ネガティブな感情花火をドカンと打ちあげて、、、犯人探しをさせます。怒りの感情花火を打ちあげておいて、、怒りの犯人を思考にさせるのです。誰だ??誰だ???誰だ????です。こうやってネガティブな思考の渦を作り、、食べます。さらにこれにより自我ストーリーが起こるので自我も大きく肥え太るのです。

成功

ネガティブな感情に一切関心を持たない賢者もいます、、どこかでこれに気づいたのでしょう。その場合は、、ポジティブな感情花火をペインボディが打ち上げます、、、俺ってすごいっしょ、もっと大きくみせたい、もっと成功者と呼んで欲しい、、見栄、評価、称賛を求める感情が起こるのです。そこで誰か誰か誰か、、このハッピーな私を見て!!!!と思考の渦が起こるのです。これによって自我は肥え太り、ペインボディも肥え太るのです。

脱洗脳

無意識

洗脳とは無意識化で行われる行動です、、無意識ですからその動きが自身の体の中で起こっていることを自覚していません。無自覚ゆえに、、この動きを止められない。なんで俺こんなに怒っているのか???なんで私はこんなに悲しいのか????分かっていないのです。だからこれを理解してしまえばもう無意識化での感情が起こらないということです。

意識化

ペインボディの動きを見抜きます、自我の動きを見抜きます、、全部の手技、動きを完璧に理解できた時に、、無意識化の動きが終わるんです、全てが意識化された時「苦しい」「悲しい」「怒り」「驚き」「不安」という好きじゃない感情が消えます。だって欲していないのですから、本来。

感情を見抜くと

感情のカラクリが理解できますと、、「私」の登場回数が激変します、「あいつ」「こいつ」「あなた」も減っていきます。なぜならば、、、本来はそれはないからです。感情が湧き上がるから、、「私」「あなた」が登場するんです。すると自我のストーリーが消えていきます、、これが幻であるといいう「実感」が生まれます。エグいぐらいに日常が静かになるんです。

兄弟

自我とペインボディ

自我とペインボディーは兄弟です。自我とは私は居るという妄想であり、この妄想を生かし続けるにはペインボディとい感情エネルギーが重要になります。この二つは放置されると小さくなって消えてしまうがゆえに定期的に餌、エネルギーを必要とするのです。ペインボディは感情エネルギー体ですから、、感情を自由に想起できます、例えば急なイライラ、ムカつき、孤独、、、など、、これを起こすのです、花火のように。「バコーン」と、、すると、、この感情を確実に感知した直後、、「私」は、、犯人を探します、、正確には犯人を探す「私」つまり自我が起こるのです。この時点で効果は成功です。自我が起こりました。

次に

犯人探しをする「私」と、、それに付随して、、あいつのせいじゃないか、、あいつが昨日俺の悪口を言ったから、、あいつのせいじゃないか、、あいつが昨日陰口を叩いたから。。。目の前のこの嫁か????随分態度が大きいぞ、、、、です。こうやって思考がフル回転します、、これを、、ペインボディーがガブっと飲み込みます。そしてこの思考の渦では「私」と「誰か」というストーリーが起こるのです、、映画が上映されるんです、ドラマが進みます、漫画が始まります。自我OSががっつりと確立し、、イリュージョンの中にどっぷりです。

物語

我々を物語の中に押し込める最大のポイントそれが「感情」です。感情という疑いようのないツール、これを体は使って自我システムを維持するのです。寂しい、悲しい、辛い、怒り、、これらは100%実感できるのでそこから物語に打ち込むのです。寂しいのは誰????「私」しか居ないよね!!!!です。怒っているのは誰?????私しか居ないよね!!!!です。

一日中

こうして私たちは一日中「私」という檻の中に閉じ込められます。感情がガンガン湧くことで、、私ストーリーに閉じ込められるのです。ドキドキする時、、、このドキドキは何だ?????そうかあの人に夢中なんだ「私」が。。。です。こうやってこうやって「私」は誕生しあなたも誕生し、、妄想、幻想、夢の住人として生きるのです。

日々瞑想

生活

視座が変わりますと、、毎日が瞑想になります。毎日生きること自体が瞑想なのです。なぜか????あるがままをあるがままに見れるようになるからです。多くの方は歩くだけで「自分」が「判断」を下していきます。あの人格好悪い、あの人可愛い、あの人パッとしない、あの人、あの店、あの、あの、、、です。私とあの人、あの店を比較して、、比較して、、を繰り返しています。これは瞑想ではない、、ストーリーです。そうではなく、、現象そのものを感じるのです、そこに自分を置かずに、ただ現れては消えていく現象をそのままに観察します。

思考が現れても

思考判断が現れてもそれを反省するのではなく、、、その現象を感じます、そこからキャッチボールに入るのではなく、、、感じるのです。現れを現れとして感じます。あれ、今判断が起きたなーです。あれ思考が今起きたぞ、です。思考判断すら、、観察の対象なのです。一体化ではなく観察です。自身のペインボディーはお腹が空けば、、ネガティブな感情を現し、、ネガティブな思考を起こす仕掛けをしてきます、、それを感じます、、そこから思考の渦に入るのではなく、、、感じるのです。そしてペインボディーすら観察の対象にします。

何が楽しいのか????

そんなことして何が楽しいのか??????それこそが自我の罠、エゴの罠、思考の罠です。「私」は実は楽しむなどできないのです、、「私」ができることは刺激を貪り、、刺激を得る(これも錯覚)ことで束の間の苦しみ解消をしているだけなのです。だから楽しむの罠に落ちないでください。そこはただの刺激地獄です。そうではなく、、観察をやってみます、、無我になって観察をします。。すると徐々に徐々に、、生のダイナミズム、空即是色の凄みを感じれるようになります。

正気の抜けた世界

毎日毎日判断ばかりを下していますと、、ストーリーの世界から抜けることができなくなり、、その世界は無機質、虚無、正気の抜けた世界です。試しにやってみてください、、道ゆく人全員をジャッジしながら通勤してみてください。どんどん気の抜けた世界に入っていきます。逆に判断を一切辞めてみるのです、、あるがままをあるがままに感じるのです、、すると、、世界が変わります。これはマジックです、イリュージョンです。

負の感情蓄積体=ペインボディー

負の感情を抱え込んでいく体

負の感情を無視したり誤魔化したり、気晴らしに逃げ続けていきますと、、その負の感情は体に蓄積されていきます。エックハルトはこれをペインボディーと表現しますが要は負の感情蓄積体です。この負の感情蓄積体は自身の体の中に形成されやがてそれらは集団的ペインボディーとも共鳴するようになります。社会的ストレスなどが個人とリンクしてしまうということです。例えばストレスフルな環境に行くと自分まで気分が悪くなるというアレです。重要なことはそれらの場所に行かないということではなく自身のペインボディー、負の感情蓄積体を解消することです。

先ずは無視をしないこと

仕事がストレスフルな人はギャンブルにハマりやすくなります。あれこそ負の感情の完全無視、負の感情を忘れるつもりでギャンブルに興じますが負の感情を生み出すストレス源を断ち切ることには行かないので日に日にストレスが増えていくことになります。ですがこの負の感情を見ることから逃げ続けていきますと気晴らしの度合いもまた増えていく傾向にありギャンブル依存症にまでなっていくのです。そして体には負の感情が着実に蓄積されペインボディーが形成されていきます。ギャンブルに逃げるのではなくストレスをしっかりと見つめる、しっかりと観察する、、それを誤魔化さない、、これをすることで一時的には辛いですが、そこから無心無我に入れるようになっていきます。それをしっかりと観察することで観察する存在に昇華していきます。

負の感情を無意識に抱え込んでいくと

負の感情を無意識に抱え込んでいきますとそれは確実に人間関係に影響を与えるようになります。相手の攻撃性を引き起こしてしまうこともあります、例えば職場で絡まれる、お店で絡まれる、、など溜まった負の感情は接する人間のやはり負の感情蓄積体を刺激するようになるのです。睡眠不足の時に色々悪いことが続くのはこのパターンです。要はため込んだ自身の負の感情がそれを爆発させたく接する人間を刺激しているわけです。このストレス、負の感情を無視し続けた結果の成れの果てです。

「程々の幸せでいい」という思考すら自我の策略

並程度の幸福さえあればいいの罠

自我、思考は平均程度の幸福な生活ができればそれでいいじゃないか、平均以上の年収があるんだからもうこれ以上は求めずに平均的な幸せを謳歌すればいい、、このように一見謙虚なアイデア、メッセージを自分自身に囁きます。ですがこれは自我の策略です、今の生活を続けていく限り自我の存続は安泰なのです。例えあらゆる不満、不平、批判が湧いてきても私は十分平均的な幸せを得ているという思考の呟きで全てを封印していきます。ですがこの囁きの本心は自我存続のみです。

無理やり封印するのではなく、、

無理やり封印すれば負の感情が体内に蓄積されていきます。本心、本音が消化されずにただ隠されていきます。思考でむりくり押し殺した感情は体内に確実に蓄積されエックハルトが言うペインボディー、負の感情蓄積体になっていくのです。この負の感情を無視するのではなく観察していきます、私はこういう感情を持っているんだな、、ここにしっかりと向き合うとともにそこに思考解決を入れないようにしていきます。感情観察に集中するのです。

退屈だ、、、が湧いてきたら

退屈だなーが湧いてきたらしっかりとその感情を観察します。そこで思考を使いごまかすのをしないのです。しっかりと湧いてくる負の感情を観察しそこに集中します。退屈だなーが湧いてきたという事実のみをしっかりと受け入れるのです。思考でこの感情をうやむやにしないのです。思考は直ぐにこの退屈だなーを打ち消そうとしますがそれをさせません。思考に主導権を握られれば自我が肥え太り益々負の感情が湧いてくるようになります。多くの方はこの無理くり消し去られた負の感情が着実に体内に蓄積されていきペインボディーが肥え太っていきます。負の感情の噴出を助長させていくのです。思考でごまかすのではなくしっかりと観察し、、、そこから無心無我に入っていきます。そして主導権を観察する存在、大いなる存在に戻していくのです。

主導権を大いなる存在に戻すと

負の感情が湧いてきた際に思考でごまかすのではなく、、しっかりと観察していきますと観察する存在に自然になれるようになります。観察する存在とは大いなる存在のことです。負の感情から逃げるのではなくそのままそれを受け入れていくことで無心無我に入っていきます。この状態は安堵そのものですから負の感情は自然と無くなりなおかつ思考のフル回転を防ぐことで自我の肥大化を防ぐことができます。さらにこの安堵の感覚を一度でも感じることができるようになると目標達成においてもこのゾーンに自然と入れるようになっていきます。無心無我に入って集中して全作業に当たれるようになるのです。

観察することを「考え」ても無駄

今にあることは思考ではない

負の感情が湧いてきた時にそれを観察する、ただ集中してその感情を見つめる、、、これは思考して理解できるものではありません。むしろ思考こそが観察の邪魔になります、思考を削ぎ落とすために観察に集中するのであってそれを思考すれば本末転倒です。今にある、大いなる一つになる、真我になる、無心になるとはどういうことか?ここに思考で行き着こうとすれば矛盾が発生するのです、ここは絶対に思考では入れない世界だからです。じっくりと負の感情、ペインボディーを観察することで思考を削ぎ落としそこから無心、無我、大いなる一つに入っていくのです。そこには歓喜、平和、安堵があります。

周囲の人間に振り回されている、、、

自分自身は今にあることができても周囲の人間がそれができていない、、だから難しい、、、これも頻繁に聞く話ですがこれは論点がズレています。自分自身が感情を観察できていて周囲の人間の感情を観察できない方が不思議なのです。自分の感情こそ自分ごとでありこれには過剰に反応するのが人間です、逆に周囲の人間の感情など容易に観察できるはずです。観察することに集中するのです、そしてそこから悟りに入ります。そこから無心、無我に入り込みます。自分の体から湧いてくる負の感情観察が一番難しくだからこそそこからの悟りは強いのです。

自分関係に比べたら人間関係など楽勝

自分自身の感情、不足感、孤独感、欠乏感、退屈感、、、、この感情の対処には非常に敏感になります。真面目な方はこの感情を無視することができずこの根絶に命を燃やします。ですが解決をすればするほどに負の感情はより勢いを強めて攻め込んできます。真面目な人がうつ病になるのはこのためです。ネガティブな感情、ペインボディーの解消は真面目に思考を働かせれば地獄を見ます。そうではなくただ見つめます、ただ観察します、観察に集中します。これによってそこから無心、無我、真我に入っていくのです。

負の感情が湧いたらそこから不幸な自分を演じる自我

自我の作戦は常に稚拙

悲しい、苦しい、辛い、、、このような負の感情が湧いた時に自我、思考はどうするか?甘えることに慣れている思考は「不幸な自分」「大変な自分」「落ち込む自分」を演じます。なぜこれをするか?これをすれば周囲の大人が動いてくれることを学習しているからです。周囲の大人、特に両親が自分のために行動してくれることを自我は学習します。これによって自我は悲しい、苦しいなどの負の感情が湧いた時は塞ぎ込んで見せてこの感情解決を図るのです。ですがこの作戦には大きな落とし穴があります。それは感情の解消に思考(自我)を使ったということ、これによって自我は肥大化しさらに負の感情を生み出しやすくなるのです。

大人はこのような稚拙な行動を見抜かなくてはならない

大人が取るべき行動はこのような稚拙な行動を子供が取ったならば直ぐにそこを見抜き改善を図ることです。もしもこれを見抜かずにその作戦に乗ってしまえばその子供の自我はこの作戦を何度も使い続けることになるのです。何か落ち込めば落ち込んで見せるという演技に拍車がかかるどころか、、、無意識(常に)に感情と行動がセット化していきます。結果自我の肥大化は一途を辿り負の感情が毎日湧くような体質にシフトしていきます。

大人とは、、頭脳、IQとは何も関係がない

頭脳レベル、IQがその人の成熟度とダイレクトに関係するならば東大生は皆大人ということになりますがそうではありません。むしろ思考が発達していると負の感情の解決方法を思考に委ねる結果になり負の感情湧き出しからの思考フル回転が定番化します。思考が考えだす作戦は常に過去のデータから湧き出されそれは自我をさらに強化する結果になるのです。自我の肥大化はそのまま負の感情(ペインボディー)の肥大化に繋がり苦しみのメカニズムは完成します。

それでも苦しみは目覚めのためにある

負の感情とそれを解決する思考のメカニズムは勿論苦しみのメカニズムです。ですがそうは言ってもこのメカニズムは悪なのか?といえばそうではなくこのメカニズムは最終的には目覚めを経験させるための苦行のようなものです。宇宙には一切無駄なものはありませんからこのメカニズムは人間を目覚めに誘う荒療治のようなものです。私自身悟り、ノンデュアリティーの学びを始め、、、このエゴ、自我のメカニズムを学んできましたがこの核心にあってはなかなか理解が深まらない、、つまり自我の抵抗に相当に合いました。それだけ人を目覚めに渇望させる大きなポイントなのだと思います。