「程々の幸せでいい」という思考すら自我の策略

並程度の幸福さえあればいいの罠

自我、思考は平均程度の幸福な生活ができればそれでいいじゃないか、平均以上の年収があるんだからもうこれ以上は求めずに平均的な幸せを謳歌すればいい、、このように一見謙虚なアイデア、メッセージを自分自身に囁きます。ですがこれは自我の策略です、今の生活を続けていく限り自我の存続は安泰なのです。例えあらゆる不満、不平、批判が湧いてきても私は十分平均的な幸せを得ているという思考の呟きで全てを封印していきます。ですがこの囁きの本心は自我存続のみです。

無理やり封印するのではなく、、

無理やり封印すれば負の感情が体内に蓄積されていきます。本心、本音が消化されずにただ隠されていきます。思考でむりくり押し殺した感情は体内に確実に蓄積されエックハルトが言うペインボディー、負の感情蓄積体になっていくのです。この負の感情を無視するのではなく観察していきます、私はこういう感情を持っているんだな、、ここにしっかりと向き合うとともにそこに思考解決を入れないようにしていきます。感情観察に集中するのです。

退屈だ、、、が湧いてきたら

退屈だなーが湧いてきたらしっかりとその感情を観察します。そこで思考を使いごまかすのをしないのです。しっかりと湧いてくる負の感情を観察しそこに集中します。退屈だなーが湧いてきたという事実のみをしっかりと受け入れるのです。思考でこの感情をうやむやにしないのです。思考は直ぐにこの退屈だなーを打ち消そうとしますがそれをさせません。思考に主導権を握られれば自我が肥え太り益々負の感情が湧いてくるようになります。多くの方はこの無理くり消し去られた負の感情が着実に体内に蓄積されていきペインボディーが肥え太っていきます。負の感情の噴出を助長させていくのです。思考でごまかすのではなくしっかりと観察し、、、そこから無心無我に入っていきます。そして主導権を観察する存在、大いなる存在に戻していくのです。

主導権を大いなる存在に戻すと

負の感情が湧いてきた際に思考でごまかすのではなく、、しっかりと観察していきますと観察する存在に自然になれるようになります。観察する存在とは大いなる存在のことです。負の感情から逃げるのではなくそのままそれを受け入れていくことで無心無我に入っていきます。この状態は安堵そのものですから負の感情は自然と無くなりなおかつ思考のフル回転を防ぐことで自我の肥大化を防ぐことができます。さらにこの安堵の感覚を一度でも感じることができるようになると目標達成においてもこのゾーンに自然と入れるようになっていきます。無心無我に入って集中して全作業に当たれるようになるのです。

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