人間にはなぜ目標や夢が必要なのか?

小学校に入ったら次は中学校、次は高校、次は就職、、結婚

人間には目標が必要とされています。小学校入学、中学校入学、高校入学、大学、就職、結婚、子育て、、、と延々に人間には次にやるべき目標がある程度決まっているように見えます。そして多くの方はこのメインストリームに沿って生きています。私は小学校にも、中学校にも、就職、結婚、子育てにも興味がありません。ということを言えば何か外れた、後ろめたさ、苦々しさ、を感じずにはいられません。これはなぜなのでしょうか。目標がいらないという人間は排除されていく傾向があります。

自我には目標が必要、

では答えをお伝えします。要は自我には目標や課題、夢が絶対的に必要なのです。自我というのは本来存在していません。本来は存在しかありません、目に見えるせかい存在そのもの、存在以外何もないにも関わらずそこに個人という存在を無理くり作り上げました、これが自我です。ですのでこの自我は大変不安定な存在です、何にも関わらずあると思い続けなくてならないのです。この自我が自我として確固たる地位を気付き上げるためにはそう、目標や夢、課題が必要なのです。私は中学生にならなくてはならない、私は就職しなくてはならない、私は結婚しなくてはならない、、課題や夢、目標を達成しなくてはならないのは「自分」だと。だか自分が次の自分になるのだと。これこそが自我の最強戦略です。目標を達成するのは常に自分『自我』です。ゆえに自我は次の目標、夢、課題を常に常に常に探し続けるのです。

金メダリストのインタビューで聞かれる質問に注目

オリンピックの大舞台、このステージで優勝、金メダルを手に入れた選手に聞かれる質問の中で最も多いのは「次は何を目標にしますか?次のオリンピックも期待しています。今後の展望は?」です。オリンピックで金メダルを獲った直後ですらこの質問がされることの異様さに誰も気付きません。人間とは自我とは、この目標をなくされてしまう恐怖を実感し直ぐに次の目標を決めさせます。これでまたしばらくは「私はこの体、思考である」というカラクリを延命できます。

自我の目標作戦に疲れ果てたら

自我の目標作戦に疲れ果てなならば、、自我の夢達成製造機に疲れ果てたならば、自我の課題探しロボットに疲れ果てたならばもうこの作戦に乗るのは辞めましょう。自我が次の目標、課題、夢を探してきたならばその目標、課題、夢を通じて行為に没頭しましょう。行為そのものになってしまうのです。勉強に入り込むことで無我を体感しましょう、仕事に入り込むことで無我を体感します、スポーツに入り込むことで無我に入ります、子育てに入り込むことで無我に入ります、自我(思考)がかき集めてくる課題を餌にしてそこから無我に入り込んでしまえばいいのです。その時自我は無我の良いパートナーになります。自我はもう無我から主導権を奪うことなく主導権を無我に明け渡すのです。

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