自我

自分の一番の恐怖は自分の消滅

神はこの人間の体に閉じ込められさらにこれを消滅したくない

神とは本当に矛盾を秘めた存在です。この体に閉じ込められ非常に苦しい思いをしているにも関わらずこの自分を消滅させたくないと思っています。苦しいにも関わらず自己を存続させたいと願っています。なんという自己矛盾、ドM体質と言っていいでしょう。アメリカ南部で奴隷解放運動が起こった際にそこから奴隷を積極的に辞めた人間が少なかったという事実があります。つまりこの自我とはどれほど苦しくても今存続できているならばそれでいいのです。

コンフォートゾーンはそれを完璧に説明している

苫米地式コーチングのコンフォートゾーンは自我のこの働きを完璧に説明しています。自分に成り切った神はその状況がどれほど苦しくても「自分」が存続できているならばそれを維持したいのです。だからこそ進化することを嫌います。進化とは今までの自己の消滅だからです。自分が進化を継続していけば行き着く先は自分の消滅です、なぜならばこの自分は錯覚だからです。

自分のセルフイメージを上げ続けていく

自分とはこういう人間だ、このセルフイメージを常に進化させていきます。「自分」という存在をなくすのではなく「自分」を進化向上させ続けていきます、するといつの間にか「自分」=「神」になります。マズローの欲求五段階説のように自身の欲求を進化させていき、、最終的に「自分」は神であったという境地までセルフイメージを上げていくのです。このやり方ならば「自分」の消滅を極端に恐れる自我を上手くコントロールできます。

自我は言う、悟った暁には絶対に幸福になれると

自我とは大いなる勘違いした存在

悟りという言葉ほど誤解されている言葉はないかもしれません。悟りとは、、、個人が成し遂げるもの、、この誤解を最もされています。あの人は悟っている、あの人は悟っていない、、、、どこまで行っても悟りをこの人間と結びつけたがります。ですが実際にはこの誤解こそが悟りを人間から遠ざける結果になるのです。人間が彷徨いながらこの世界を生きていく時、「悟り」こそがこの苦悩を終わらせるメッセージであるにも関わらず人間はこの「悟り」を理解できません。なぜならば人間が実は幻想という身も蓋もないメッセージだからです。

神から自我へのコンフォートゾーンのシフト

コンフォートゾーンで説明すると悟りは一気に理解できるようになります。先ず第一にこの世界の主人公は全体、神、ワンネスです、主人公というよりも、、それしかありません。たった一つのエネルギーだけがありそれが姿を変えて現象化しているだけ、、、これが真実です。で、その中で人間という形をとった生命現象が出現しました、、この生命現象は独自の進化を重ね、体、脳を相当なハイスペックなレベルにまで向上させました。これにより全体、神、ワンネスはこの人間に意識を集中させる、コンフォートゾーンを全体から人間にシフトさせることに成功したのです。

これに成功した神は。。。

これに成功した神はそこからは自身を人間として生きていくことになります。人間と人間以外の世界を生きることに成功したのです。その世界では常にこの体を守っていかなくてはならなくなり、、必死になって知識、体力を付けていきます。全ては生き延びるため、、、人間になり切った神はこれを消滅させないために必死に生きていくのです。ですがそれと同時に人間にコンフォートゾーンをシフトさせた状態では絶対的な永遠の幸福に至れないことも知っています。なぜならば神=人間ではないからです。これはどこまで行っても茶番に過ぎずだから人間は常に不足感を抱えて生きているのです。

人間に成り切った、人間にコンフォートゾーンをシフトした神は、、、

この人間体験を大いに楽しむわけですが、、そのためには自分が神であることを忘れる必要がありました。ですが実際には神は自身が神であることをどこかで気づくことになります。いつまでも人間になり切って自分が神であることを忘れ続けるのは難しいものです。それはある意味人間としての幸福実現の限界に達した時かもしれません、、、どこまで走れば人間は幸福になるのか???これって本当にゴールはあるの????こういった疑問が人間から湧いてくるようになると人間に成り切った神はそもそもが大天才ですから本当のことを思い出すようになっていきます。

自分は全体を知った時に再び全体の王になろうとする

自分が無くなると全体になるにも関わらず

自分とは面白いもので悟った後もこの自分が悟りの王になろうとします。悟った自分としての覇権取得です。ですがこの自分が居なくなった状態こそが悟りであり再び主権を奪い返せばもう悟りではありません。これを苫米地式コーチングで説明すると面白い。神のコンフォートゾーンが人間になった状態が「自分」です。そしてこのコンフォートゾーンがシフトして神が神であることがコンフォートゾーンにシフトした状態、これが悟りです。この時点で人間としての自分は居ません、コンフォートゾーンがずれてしまっているからです。ところがコンフォートゾーンがシフトする前にこの状態を垣間見てそのままコンフォートゾーンが人間に戻った状態こそが自我、自分が理想とすることなのです。自我は絶対に自我を消滅させたくないので手が込んでいます。

目指すべきはコンフォートゾーンの完全シフト

目指すべきは自分の完全解消です。コンフォートゾーンの完璧なシフトです。人間であるというコンフォートゾーンから神であるということにコンフォートゾーンをズラすことです。神が神であることにコンフォートゾーンがシフトすると人間は神の一部になりますから人間の個別意識を維持できなくなります。これが自我の消滅、終焉です。人間の個別意識とはコンフォートゾーンが人間にあることを意味するからです。神にコンフォートゾーンがシフトすれば人間、元自分は神の表現に戻ります。ですがそれでも五感はあるし思考も感情も湧き続けます。それを所有する自分がいないだけです。元自分がそれを所有するのか、、所有したらそれは自分です。

神は苫米地式コーチングを使って人間になった

神はどうやって人間になったのか??簡単です、、、私は人間である、、ということを信じれるようになるまで情報を滝のように浴び続けたのです。。両親の声かけ、学校での暗記、、全部です。これって苫米地式コーチングでいうゴール側の情報を浴びるように収集しゴールに臨場感を持たせるというアレです。ゴール側に臨場感、リアリティーを感じ続けていけばゴールに親近感、コンフォートゾーンがシフトするというアレです。苫米地氏が口を酸っぱくするまで言っていることそのままです。赤ん坊は、、、両親から滝のような声かけを浴び続け、、私は人間であるというコンフォートゾーンを完成させたのです。神はこうして人間になりました。

コンフォートゾーンと悟り

100万通りでの悟り解説

世界にあらゆる宗教が存在するのは真実を意表す方法は100万通りあってもいいわけです。ということで私もこのブログであらゆる例え話で悟りを解説していきたいと思います。その一つがコンフォートゾーンという切り口、この切り口は苫米地英人さんが行う苫米地式コーチングから学びました。彼のコーチングの最大の特徴はゴールをコンフォートゾーンの外に設定するということ、ここが他と圧倒的に違います。コンフォートゾーンの中のゴールは現状維持でしかない、こう断言します。例えば巨人軍の選手が巨人で四番を打つのはコンフォートゾーンの中にあるのです、ここを目標にしますと達成が近づくにつれ目標意識が落ちていきます、そうではなく巨人では絶対に達成できないような目標をゴールにせよ、、、これが苫米地式コーチングの特徴です。例えばヤンキースで四番を打つ、、これならば巨人に居ては達成できません。これを目標にせよ!ということです。

実はこれコンフォートゾーンをズラすトレーニング

このコンフォートゾーンの外にゴールを置くという真の目的はコンフォートゾーンをズラすことにあります。多くの方はコンフォートゾーンの中に居続け死にます。一生同じコンフォートゾーンの中に安住してそのまま死にます、しかもそこが居心地が悪くてもです。どんなに居心地が悪くてもそこで食べていけるのならばそこに居ます、これがコンフォートゾーンです。だからこそコンフォートゾーンの外にゴールを設定せよ!が生まれるのです。実はこれ自我の働きそのものです。自我は自身の存在を消滅させたくないので一度そこで食べてると知るとそこに居続けようとする働きがあります。ですが同時にそれはそれで苦しいのです。同じ場所に居て自我を存続させたい、だが本当は居たくない、、、なぜならば自我の本質は神だからです。神は神に戻りたいのです。

自我がここに居たい、、だが自我の本質は居たくない、、、

苫米地氏はコンフォートゾーンをズラすことを積極的にせよと唱えます。悟りの観点から説明するとどのコンフォートゾーンも居心地が必ず悪くなると説明します。なぜならば自我の本質は神であり神は人間であるというこのコンフォートゾーンこそが苦しいのだと。苫米地氏は目標を達成する前にゴールを常に上に上いに設定せよと説明します。そして自身のゴールは世界平和、戦争の廃止、差別の解消であると唱えています。これは自己超越です、悟りです。悟りの観点では、、、目標設定の最終ゴールを悟り、神と設定することで最初から今の苦しみの根源を解説していきます。

悟りへと導く「苫米地式コーチング」は凄い

脳科学は苫米地英人氏の方便では?

私は苫米地式コーチングに一時期ハマりにハマりました、、ハマっている当初は実はそこまで気づいていなかったのですが自身が悟り、非二元について探求を重ねていくに従い、、実は苫米地式コーチングは「悟り」への誘いであったことを強く痛感するようになりました。覚者が伝える「自我」というメカニズムを現代風に表したのが「コンフォートゾーン」、、コンフォートゾーンの外にゴールを設定するが「自己超越」「悟り」、、抽象度を高くする、、「分離の解消」、、、と気づけば全部悟りの世界のことなのです。

苫米地氏は映画「マトリックス」を制作する代わりに「苫米地式コーチング」を作った

あくまでこれは私の推測でしかありませんが、苫米地氏のコーチングは民衆、大衆を騙すための方便でゃないかと考えます。マトリックスという映画は監督による悟りへの方便です。苫米地式コーチングは自己啓発、目標達成、成功法則を謳った苫米地氏の悟りへの方便ではないでしょうか。脳とはこの人間の分離感覚を完璧なまでに強化するツールですからそこに責め込むのは素晴らしいアイデアです。

脳のトリックを見抜き悟りへ誘う

苫米地氏を著書の中で何度も抽象度の最高は悟であると述べています、、視座を最も高くした地点、全体を眺める視点とは悟りの状態です。この世は突き詰めればたった一つのエネルギーで構成されていますから分離というのは全くなく、、そこを苫米地氏は抽象度を上げていくことで情報を整理しそこに導きます。最終的には人間もその一つのエネルギーの構成要因であることは間違いがなく、、自分が消え失せます。その時に残るのは「無」であり「全体」であり「神」です。

神であるこなることにコンフォートゾーンをシフトする

自分は神だ、が当たり前になる

本当のところ我々は神です、ですがその事実を完璧に忘れています。これによってこの世の不幸、欠乏感、居心地の悪さが生まれています。どれほど完璧に神であることを忘れたかがどれほどこの世が苦悩かのバロメーターです。例えば老けるのが非常に早い人はこの傾向にあります、私は人間であるという完璧な割り切りは恐ろしいほどの苦脳をその人は抱えることになります、ですが外から見れば自立した立派な大人である可能性はあります。これが人間の矛盾です。

自分は神だ、、はあり得るのか?

あり得るであり何もこれがデフォルトです、神という言葉が誤解を生みますが要は全体ということになります。この全体から脳が進化した人間に意識が完全シフトした状態が「自分」です。コンフォートゾーンが「自分」にシフトしたのです。ですがこの「自分」は神の一表現でしかなくその一表現にコンフォートゾーンがシフトしても苦しいに決まっているのです。本来のコンフォートゾーンは神だからです。ですが「自分」にコンフォートゾーンがシフトした理由は神がそれをやってみたかった、ただそれだけです。ということでこの世に本当の意味での不幸人間は誰一人いません。コンフォートゾーンの位置の問題だけです。

先ずはこの自分は幻想であることを理解する

自分が神であることに確信を得る前にやることがあります、それは「自分」というこの疑いようのない存在の嘘に気づくことです。どうやってこに体、思考、感情を自分と思い込むことに成功したか、、、ここを突きます。これをしないと始まりません。いかに神であることを確信してもこの日常生活はリアリテティーがあり過ぎて直ぐに自我コンフォートゾーンに引き戻されてしまいます。この五感があまりに優秀すぎてリアリティーに負けます。

脳の分離錯覚機能をお酒が弛緩する

お酒は脳の分離錯覚機能を痺れさせる

お酒を飲むとフレンドリーになったり打ち解けたりできるのは分離錯覚機能を司どる脳の機能を痺れさせるからです。分離錯覚機能を作り出す脳に対してお酒は直接作用することで分離感を和らげます、これは不足感、孤独感、居心地の悪さをそのまま解消することになるのです。だから日本人の半数以上の人が毎晩のようにお酒を飲んでストレス発散をするのです。毎日小さな悟りを行っているような感覚になります。

脳の記憶機能が分離感を助長させる

これはあくまで推測ですが記憶を司どる脳の機能を痺れさせて分離感を和らいでいるようにも感じます。実際には脳の全部位に対しお酒は効いているのではないでしょうか。お酒は飲むと血液に流入し全身に廻ります。当然脳にも巡るわけで記憶がなくなったりもする時があります。ですから記憶の部分を和らげることで自我の感覚を和らげ不足感、孤独感の発生を一時的に抑えているのではないでしょうか。

嫌なことがあった時ほどお酒に走る

嫌なことがあればお酒に走る人が多いのは、、、そのまま記憶を痺れさせているとしか思えません。記憶がぼやけることで自我がぼやけ、それによって分離感覚が収まっていきます。要は人間が分離した存在から全体に戻っているということになります。これによって歓喜、平和、安堵に直接繋がる体験になるのです。覚醒剤などはその名の通りそれがマックスに作用するのではないでしょうか。タバコも然り、コーヒー、お茶、カフェインもその作用が強く働く一つです。

八方塞がりは分離錯覚脱却のチャンス

八方塞がりは実はチャンス

八方塞がり、、、こんな状況には死んでもなりたくない、、、これは人間の思考からでてくる考えです。思考はこの「自分」を存続させるるため、この分離錯覚システムを維持するために構築されていますからシステムの崩壊危機をなんとしても避けたいわけです。ですから八方塞がりになりそうな状況に近づきもしません。最初からそのような状況になる可能性があることを事前に感知し近づきません。逆にいえば自我、思考が嫌がることとはこのシステムを崩壊させるチャンスを秘めているのです。

八方塞がりで自我が消える

自我の最大の特徴はこの自分というシステムを維持することになります。ところがこの自分が八方塞がりのピンチに陥った時にはどうしていいか分かりません。思考をフル回転しても逃げ道がないような状況に追い込まれたならば思考は機能を失います、思考することを止めるのです。するとどうなるか?思考がなくなれば自分、自我は維持できませんからいきなり無我になるのです、分離錯覚が終わるのです。突然自分が消え失せ宇宙全体に戻ります、そこは歓喜、平和、安堵の世界です。そして宇宙全体が主導権を握り分離した体ではなく全体の一部として思考が再び活躍し危機を突破するのです。この体験をしてしまった自我は最初は何が起きたか理解できませんが徐々にこの感覚を思い出します。

自我が消えると分離が消え宇宙全体としてに起こりがある

火事場のクソ力が良い例ですがあの瞬間に自分というシステムは完全に崩壊し分離錯覚が消え失せます。全体の中にただ体、思考、感情があるだけ宇宙のアートの中にこれまでの「自分」が存在することになります。普段では絶対に乗り越えらえないような危機をある種簡単に乗り越えてしまうのです。火事の後自我は再び主導権を取り戻し分離錯覚が戻りますがこの経験を忘れはしません。そして分離錯覚が外れた状態、自我が抜け落ちた時の平和な感覚を再び憧れるようになります。事故による奇跡の目覚め体験です。

いつか悟りが開く時を待つの誤解

時間軸の延長線には悟りはない

悟りとはこの時間が幻想であることを見抜くことです、この自分、自分が動く空間、時間、、これらが幻想であることを見抜くことであり、、それゆえいつの日か悟りを開ける日が来るだろうという思い込みは「自分」と「時間」というものを大前提にした考えでありこの考え方は逆に悟りを閉じます。ですが路頭に迷う探求者であるならばいつの日かという発想を持つのは当然のことでありこの誤解の事実をただ認識するのみです。

誤解を解き続ける結果として突然気づきが起こるのみ

思考を使いこなす自分としてではなく、、思考が抜け落ちた無我としてただひたすらに「自分」「自我」のメカニズムを理解していきます。どのように自我が構築されてどのようにこの分離の世界が出現したのか、、、我々の誤解を解き続けていくしかありません。自分という視点が作り物であるという深い理解、分離しているというこの世界の思考によるメカニズムの深い理解こそが「自分」から全体へのシフトを起こします。

時間とは?

時間というのはこの「自分」がこの世界に誕生することで生まれました。この自分が経験することの積み重ねを記憶した際に時間の認識が起こります。ですがこの「自分」が幻想である以上、時間も幻想ということになります。移り変わりを記憶する「自分」がいることで時間というアイデアを共有しているだけのことです。ですからいつの日か悟りを開ける日が来るという考え方は多くの矛盾を秘めているのです。

自分をなくすための努力は自分を強化する

残念ながら悟ための努力は自我を強化する

苦行、瞑想、お経、霊的向上、座禅、、、あらゆる悟るための努力の多くは自我を強化していきます。なぜかと言えば悟ろうとするのが「自分」だからです。どうしても「自分」は悟ることすらも自分が成し遂げようとするわけですがこの努力は逆に自分を強化する結果に終わります。自分を維持する自我のメカメニズムは自らそのメカニズムを放棄するわけがなく結果「自分」が行おうとする行為は逆に自我を強化します。

自己認識を変えるのみ

悟りとは視点の転換です。自分として何かを達成するのではなく、自分が居ないという認識です。では一体この在るというこの感覚は何なのか?間違いなく「在る」という感覚は確実にあります。自分が仮に幻想であったとしても「在る」というこの感覚に嘘はなく、、いくら幻想であると言われても幻想しかないということには納得できません。この自分が偽りであることを腹落ちできた時この在るという感覚だけが残るのです。これが答えです。

物も自分も全ては幻想

我々は生まれてきてから何度も両親に名前を呼ばれ続けてこの体を「〇〇ちゃん」と認識するようになりました。名前を呼ばれ続けることで脳がその名前を記憶し、、、この体がどうやら〇〇ちゃんであると意識し始めます。全体意識の個別意識化の成功です。全体からこの体、思考、感情が分離します。そしてそこからあらゆる見える物に対して名前を記憶していき名前が付けられた物が全体から分離していきます。この事実を理解することで自分、その他の物の分離のメカニズムが理解できます。この理解が分離のトリックを解消します。