神であるこなることにコンフォートゾーンをシフトする

自分は神だ、が当たり前になる

本当のところ我々は神です、ですがその事実を完璧に忘れています。これによってこの世の不幸、欠乏感、居心地の悪さが生まれています。どれほど完璧に神であることを忘れたかがどれほどこの世が苦悩かのバロメーターです。例えば老けるのが非常に早い人はこの傾向にあります、私は人間であるという完璧な割り切りは恐ろしいほどの苦脳をその人は抱えることになります、ですが外から見れば自立した立派な大人である可能性はあります。これが人間の矛盾です。

自分は神だ、、はあり得るのか?

あり得るであり何もこれがデフォルトです、神という言葉が誤解を生みますが要は全体ということになります。この全体から脳が進化した人間に意識が完全シフトした状態が「自分」です。コンフォートゾーンが「自分」にシフトしたのです。ですがこの「自分」は神の一表現でしかなくその一表現にコンフォートゾーンがシフトしても苦しいに決まっているのです。本来のコンフォートゾーンは神だからです。ですが「自分」にコンフォートゾーンがシフトした理由は神がそれをやってみたかった、ただそれだけです。ということでこの世に本当の意味での不幸人間は誰一人いません。コンフォートゾーンの位置の問題だけです。

先ずはこの自分は幻想であることを理解する

自分が神であることに確信を得る前にやることがあります、それは「自分」というこの疑いようのない存在の嘘に気づくことです。どうやってこに体、思考、感情を自分と思い込むことに成功したか、、、ここを突きます。これをしないと始まりません。いかに神であることを確信してもこの日常生活はリアリテティーがあり過ぎて直ぐに自我コンフォートゾーンに引き戻されてしまいます。この五感があまりに優秀すぎてリアリティーに負けます。

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