自我は言う、悟った暁には絶対に幸福になれると

自我とは大いなる勘違いした存在

悟りという言葉ほど誤解されている言葉はないかもしれません。悟りとは、、、個人が成し遂げるもの、、この誤解を最もされています。あの人は悟っている、あの人は悟っていない、、、、どこまで行っても悟りをこの人間と結びつけたがります。ですが実際にはこの誤解こそが悟りを人間から遠ざける結果になるのです。人間が彷徨いながらこの世界を生きていく時、「悟り」こそがこの苦悩を終わらせるメッセージであるにも関わらず人間はこの「悟り」を理解できません。なぜならば人間が実は幻想という身も蓋もないメッセージだからです。

神から自我へのコンフォートゾーンのシフト

コンフォートゾーンで説明すると悟りは一気に理解できるようになります。先ず第一にこの世界の主人公は全体、神、ワンネスです、主人公というよりも、、それしかありません。たった一つのエネルギーだけがありそれが姿を変えて現象化しているだけ、、、これが真実です。で、その中で人間という形をとった生命現象が出現しました、、この生命現象は独自の進化を重ね、体、脳を相当なハイスペックなレベルにまで向上させました。これにより全体、神、ワンネスはこの人間に意識を集中させる、コンフォートゾーンを全体から人間にシフトさせることに成功したのです。

これに成功した神は。。。

これに成功した神はそこからは自身を人間として生きていくことになります。人間と人間以外の世界を生きることに成功したのです。その世界では常にこの体を守っていかなくてはならなくなり、、必死になって知識、体力を付けていきます。全ては生き延びるため、、、人間になり切った神はこれを消滅させないために必死に生きていくのです。ですがそれと同時に人間にコンフォートゾーンをシフトさせた状態では絶対的な永遠の幸福に至れないことも知っています。なぜならば神=人間ではないからです。これはどこまで行っても茶番に過ぎずだから人間は常に不足感を抱えて生きているのです。

人間に成り切った、人間にコンフォートゾーンをシフトした神は、、、

この人間体験を大いに楽しむわけですが、、そのためには自分が神であることを忘れる必要がありました。ですが実際には神は自身が神であることをどこかで気づくことになります。いつまでも人間になり切って自分が神であることを忘れ続けるのは難しいものです。それはある意味人間としての幸福実現の限界に達した時かもしれません、、、どこまで走れば人間は幸福になるのか???これって本当にゴールはあるの????こういった疑問が人間から湧いてくるようになると人間に成り切った神はそもそもが大天才ですから本当のことを思い出すようになっていきます。

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