覚者

覚者とは幻です。道でブッダに会ったら殺せという言葉は有名ですがこれはそのことです。道で会ったブッダは確実に幻です。では道で会ったその他の通行人は????勿論幻です。つまり全員が幻であり覚者も例外ではないということです。道で会ったブッダは認識できてしまうのですから幻なのです。

超常現象

祈祷師が願ったら雨が降った、霊能者が祈ったら死んだ祖父が現れた、、超常現象とはあります。世界中の超常現象を探したら無限に出てきます。その超常現象の全ては幻です。ばぜならば気づかれてしまったのですから。気づかれてしまった現象は全て「象が現れた」ものです。現れたのですから最初はなかったのです、ないものが現れたのです。

つまり

つまり現象というもの自体が幻です。一般には起こりにくい現象を超常現象と呼ぶだけであって同じ現象です。超常現象と現象の違いは遭遇率の高低だけです。同じ幻であるという意味では同じです。ないものが現れるという意味では同じです。ここで私が空中浮遊をするとしましょう。その現象はないものが現れたのです。ここでUBERで出前を取ります。ないものが現れます。

生き急ぐ

なぜ????

生き急いでいるように見える人が居ます。なぜそこまで多くのことをやろうとするのか???それは怖いからです。一回の人生でどこまで幸福になれるか????全てやっておかないと取り返しがつかない感覚があるのです。一回の人生ですから。あそこで絶対に後悔したくない、、この感覚が抜けません。後悔だけはしたくないから、、が動機になって生き急ぐのです。

これあなたの等身大です

ところが分かってしまうとズッコケます。この世界こそがあなたの等身大です。世界という知覚もあなたの等身大です。これが私という感覚もあなたの等身大です。全てがあなたの等身大だったのです。この夢のこの現れこそが神というあなたの等身大なのです。だから生き急ごうともその動きもあなたの等身大です。あなたはどこにも行けません。なぜならばここにはあなたの等身大の姿以外が現れようがないからです。

だとしたら

だとしたらこれから私はどうやって生きるのですか????今その思考が等身大の姿として現れたのです。何が起こってもそれは夢の動きです。どんな思考が現れてもそれは夢の動き、等身大の動きです。そのことが分かったときこの動きすらも愛せるようになります。どんな辛い思考も愛せます。だって等身大に映った姿に私じゃないエネルギーは存在しないからです。それがただ起こったのですから。

明晰な存在

背景

今目の前に景色が広がっています、、では広がっている景色を見ている存在は誰でしょうか?????この私でしょうか????この世界ではこの私の目がこの世界を認識しているとされています。正解を言いましょう、、私ではなく、、純粋な存在、明晰な存在が、、、ここから、、この世界を眺めています。この体ではなくこの目でもなく、、、純粋な存在が今ここから、、この景色を認識しているのです。

この目が認識しているという嘘

この私の目がこの視界を認識しているとしたらそれは大嘘です、フェイクです、大誤解です。実は実はそのような事実は全くなく、、、、純粋な存在、空、不変の存在が、、ここからその視界に気づいているのです。そうです、、我々の本質からこの景色は現れ、、我々の本質がそれに気づいているのです。その中にこの体も現れはしますが、、その体ですらも、、、、本質から認識されるに過ぎません。この景色は本質が眺めているのです。

だとしたら

だとすれば、、、、この目は一体何を見ているのでしょうか????何も見ていません、、、そう感じるようになっているだけです。実際には全部我々の本質から現象がただ現れ、、気づかれます。ですから今「私」は本当の私、本質の私に帰れるのです。これまで築いてきた「私」は嘘の私で、、本当の私は、、、この景色を作り出しかつ眺める存在です。その中でこの体も現れは消えていく、人も現れは消えていく、、ということです。

トレーニング

悟りはスパルタ

今から悟りスパルタトレーニングを教えましょう。我々の視界、、この景色、、、この景色をこちらから眺める存在、、、この体ではなく目でもない、、背景が、、、我々の本質です。。。。この体の裏から、、、この景色を眺める存在こそが我々の本質です。。この体はその景色に過ぎず、この目も景色です。。今日からそれを理解して生きるのです。この体は視界の一部として扱うのです。もう目では見ていないことを悟ってください。

友人が話しかけてきても

友人がこの体に話しかけてきても、、、スクリーン、背景こそが本当の私であって、、、この体は便宜上の「私」です。勝手につけた名前です、、これは我々の本質では全くありません。我々の本質はこの景色を見ている存在そのものです。便宜上、方便上はそれでもこの体を私として扱うことにはなります。ですがこれは本当の私ではなく偽物の私です。ですからこの私に関わり過ぎないでください。この体は勝手に思考し勝手に行動する、、現象に過ぎないのです。

感動を味わう

背景、スクリーンこそが我々の本質であるという自覚の元に生活を送りますと、、全く違った感情が生まれます、、この現象に愛着が湧きます、、登場人物をまるで自分かのように愛せます。そしてそれが真実なんです。誰も彼も背景、スクリーンの外には出ません、、つまり自分自身なんです。。凄くないですか?????面白過ぎますよね????そして湧いてくる感動を味わうのです。

この世界

今悟る

今悟ることって可能でしょうか????今です、、、、可能です。今見える世界は、、、純粋な存在、空、、から湧き上がった世界です。え?????この世界が、、空から湧き上がっているんですか????間違いなくそうです。ですからこの体は湧き上がった現象の一つに過ぎません。にも関わらず、、、全現象の気づきをこの体が起こしているという勘違いが起こり、、「苦しい」が起こったのです。

だから

手放せばいいのです、、、全現象の気づきを、、この体から全体、背景、スクリーンに手放せばそれで終わりです。この体には、、全気づきはなく、、、この体は全気づきを、、、背負っていたという勘違いだけがあったんです。だからその勘違いが終われば、、、悟りです。この全現象の背景こそが主人で、認識者で、、この体はただの登場人物、現象に過ぎない、、というだけです。

主人のシフト

本当にたったこれだけなんです、、主人がこの体から、、スクリーン、背景にシフトします。スクリーン、背景以外に、、この気づきは絶対に起こせないのです。ですから個人が全気づきを得ていたという勘違いが終わるんです。全現象をスクリーン、背景が気づいていた、、、という真実に戻すんです。これで何が変わるのか????全部が変わります、、、ストレスが消え去ります。この世界からストレスが消え去れば、、ゴールですよね。

夢の住人

存在しない

夢の住人は実は夢の中でしか存在しません。夢の住人は夢ゆえにこの夢が消えれば全て消えます。ですがこの夢は消えません。なぜならばこの夢の創造主は神だからです。神はこの夢を辞めた、とはしません。神はこの夢を作り続けます。ですからこの主人公の私が消えてもまた夢が起こります。そして今この夢を見ているのは私ではなく神ですからこの夢自体は続くのです。主人公のこの体は消えます。ですが夢が消えることはありません。今も主人公は全くこの夢を見ていません。今も神がこの夢を見ます。

今ここで

今ここでどんな夢が起こっていてもいいのです。その夢を生み出したのは神ですから。誰一人この夢に責任を取れる人間などいません。人間は常に夢の中で見られるのです。神だけがこの夢を見ています。神だけがこの夢の傍観者です。神ゆえにこの夢は永遠に続けれます。だから心配しないでください。この体、この私が朽ち果てようともこの夢は続くのです。そしてその時もその夢を見るのは「神」です。

夢を変えたい

いやでも今この置かれている状況は辛いからこの夢の内容を変えたいんですけど。。。。そう思っていますよね、間違いなく。だとしたらまだこの夢を「私」が見ていると確信しているのです。だからもっとこうなればという欲が勝手に生み出されるのです。神が神自身が生み出す夢を見ているという自覚に入りますと映像に対する好き嫌いが消えていきます。

夢の中の覚醒体験

みんな大好き

どんな体験で覚醒に至ったのですか????みんなみんな大好きです。どの体験をしたら覚醒に至るのでしょうか???どんな勉強をしたら100点取れるの???全く同じ発想です。因果の中で生きているのでこうなります。確信したいのです。「あのやり方をすれば悟れる」という確信が欲しいのです。その確信は新しい現象を生み出すことを知っていますから。ですが目覚めとは確信によって新しい現象を生み出すことではありません。その仕組みから目覚めるのです。

でも

でもだとしてもこの目覚めたいという欲望が起こってしまった以上どうしたらいいのですか???どうしたらいいか???という疑問が起こり、それに対して何かを俺がするから目覚めるというものではないという新しい気づきが起こります。気づくのは俺ではなくてこの気づきはそもそも神だったという突然の気づきが起こります。そしてこのメッセージは悟り本と呼ばれる本には既に書かれています。ですがこのメッセージは届きません。自分が全てやっているという催眠状態に入っている時、無視されます。

個人が気づくのではないというメッセージに気づくまで

悟るのは個人ではない、、、このメッセージに気づくまでこの迷走が続きます。ずっとメッセージは伝え続けています。個人ではなく神が気付いているのだと、、、同じです。ですが個人はひたすらに無視します。違います。個人が気付いているという確信が起こっている時、、ひたすらそのメッセージが無視されます。そのメッセージは実はどこにも落ちています。ですがなぜか無視されます。だから今こうして「どうしたら覚醒するのか???」という質問が起こる時も再びこのメッセージを伝えます。「気づくのは個人ではなく神なのだ」と。そしてこのメッセージに今気づくのも神です。無視して違うメッセージを求めたのも神です。

孤独

存在しない

神と神の夢しか存在しないのですから本来孤独など存在しません。孤独とはこの夢の中で孤独、という感覚が起こる時にのみ現れるのです。孤独は最初から存在などしません。動物は孤独など感じません。人間だけがこの世界に一人存在するのだという思考を生み出し、、孤独を作るのです。神の夢にのみ現れるのが孤独です。神の夢にも関わらずそれが忘れ去られ個人がこの世界を生きると確信した時「孤独」が起こるのです。

じゃあ

これが夢だと気づくまで「孤独」は絶対に消えないですよね???当然です。何をしても仲間を1万人作っても消えません。なぜならば孤独とは仲間が居ない状態ではなく世界とは分離した自分という夢こそが生み出すからです。1万人の仲間を作った「自分」は今も確実に世界とは分離しているという夢の中です。1万人も友人を作った揺るぎない存在の疑いようのない「自分」となり益々孤独になるのです。

成し遂げた「自分」

何かを成し遂げた自分は「この世界で偉業を成し遂げた」のですから「自分」は絶対的に確立されます。その時、神という感覚と自分という感覚のダブルスタンダードは強固になり違和感も増大します。起きている状態ではこのダブルスタンダードが強固になります。苦しいのです。ですからこの苦しみを解消しようとしてさらに偉業を達成しようとするのです。ですが動けば動くほどにこの自分という感覚は増えます。つまり催眠作用が起こります。苦しくなります。

主要人物

今この私にとってかけがえのない人は実在ではありません。実在ではないも関わらず実在と信じる動きが起こります。これがエージェントスミスの罠です。実在しないのです、ですが実在するかのような存在になってしまうのです。夢を思い出してください、間違いなくそこにはその時に関心が高い人物が現れます。だから騙されます。分かります????関心が高いからこそ騙されるのです。その存在を嘘とは絶対に思えないから現れたのです。

ジャニーズ

ジャニーズファンにとって中居くんというのは確実に実在です。実在だからファンなんのです。実在しないと思っている人のファンになる人は居ません。ですからジャニーズファンにとって中居くんは実在なのです。ですがそれは事実ではありません。中居くんは夢の中に現れた空想、妄想です。実在はしないのです。だから今回の問題で困った中居くんも当然存在しません。だから気にしなくて大丈夫です。

ではどうやって生きればいいのですか???

全ては夢だと自覚してその上で夢を楽しめばいいのです。全ては夢だと分かったってこの夢は現れ続けますしこの私も現れます。会話中に私は現れるでしょう。それでいいのです。どうせ夢ですから何が現れたって深刻さはないのです。中居くんがここから1年間トラブルが続いてもそれも夢です。それでどう深刻に捉えますか???

好きなタレント

会ったら???

大好きな大好きなタレントにあなたがいきなり飲み屋で会ったとしましょう。あなたはその人を夢の住人と思えますか???思えません。間違いなく興奮しファンです、と伝えます。その時あなたは手に汗を握りその人の存在を実在と信じます。それがエージェントスミスです。この夢を夢と気づかせない動きです。

弱み

エージェントスミスは必ず弱みを利用します。その人がお金に関心があれば金銭問題。異性に関心があれば異性問題。名誉に関心があれば名誉問題です。関心がそこになければ問題にはなりようがありません。ですから次々に問題という人参をスミスは垂らすのです。そしてこれを夢とは到底思えないという状況に導きます。

宝くじ3億円

もしもあなたが宝くじ3億円に当たったとしましょう。その時にこれを夢とは絶対に思いたくないはずです。半端ない興奮が襲うはずです。そうです。これが手口です。ですがこれを夢と見抜いたとき、夢の中で3億円をただ使います、楽しみます。あったらあったでいい、なければなければいいという状態になります。それを頭で考えてそう思うようにしよう、という話ではありません。これが夢だと分かってしまったらそうなります。