意識

小学校卒業時のクラスメイト

あの時のみんなは今

それぞれの人生があってそれぞれの道を歩む、、もう二度と会わない人もいるでしょう、、、卒業式の先生の言葉、、、実際に今みんなは何をやっているのだろう????ふと思う瞬間があります。みんな子供が居て忙しくやっていたりもしくは専業主婦になってのんびりやっているんだろうな、、、です。ところがこれは概念、思考、想像です、真実は全く違います。真実は誰も存在しない、です。

今この瞬間に存在しない人は宇宙に存在しない

今ここに当時のクラスメイトは居ませんよね、、その場合、、、そのクラスメイトは宇宙に今存在しません、当時の先生も、クラスメイト全員が宇宙に存在しません。今宇宙に存在するのは今見えている人だけです。嘘だろ????なわけない、、地球だけで80億人が居るんだけど、、、居ません、、、居ないんです。いまここにないエネルギーはないんです、いまここにたった一つのエネルギーがあるのです。たった一つです、もしも見えない場所にクラスメイトが居たら、、いまここのエネルギーはたった一つではなくなってしまうのです。

もっと深い話

今目の前の友人と話をしています、、、、友人が考え込んでいます、、、何を考えているの????大谷翔平の移籍先についてずっと考えていたんだよ、と答えるとしましょう、、、、本当でしょうか???これは真実ではありません。友人がもしももしも大谷翔平について考えていたのならば、、その思考に気づくはずです、、誰が?気づきの意識です、、気づきの意識が気づかない現象(思考)は存在しないのです。つまり友人にはそのような思考は湧いていないのです。

気づきの意識が気づかない現象はない

「明日吉牛食べよう!」こんな思考が湧いたとしましょう、、、なぜこの思考は認識されたんでしょうか????それは脳がそのなっているからだ!となります、、、違うんです、、気づきの意識がそれに気付いたのです。脳というのは幻想としてはありますが、、実在はしていないんです。気づきの意識がその思考に気付いたからその思考が認識されたのです、、「私」ではありませんよ、気づきの意識です。

一日中の思考を観察する

ほぼ自分ありきの思考が湧き続ける

1日の思考を観察してみてください、ほぼ自分ありき、相手ありきの思考が湧き続けているはずです。自分という存在、相手という存在が実在しているかのような思考が湧き続けています。これはもう完全にストーリー、ゲーム、幻想の中に入り込んでしまっている証拠です。マリオがマリオありき、クッパありき、ピーチ姫ありきの悩みを抱えている状態です。マリオ、クッパの中に自由意志を所有する自我が存在するかのような悩みです。本当はマリオもクッパもノコノコも自動運転です。

自由意志はない、を徹底する

我々は何十年間も自由意志がある、、、を前提に生き過ぎてきました。ですから相手が何かアクションを起こせば相手の中の自我が自由意志を行使したと思うわけです。そして私がそれに反応した時も「自分」がそう判断したと思うわけです。この思い込みが全てです、本当は自由意志も自我もなく、、ただ思考が湧き上がっているだけなのです、そしてその思考は湧き上がると同時に気づかれます、気づきの意識に。

あいつ、こんなことやりやがって!!、、、いや待てよ。

あいつこんなことやりやがって、、、、待てよ、、、、そうか自由意志はないわけだから、、あいつの体を通じてそれが起こっただけだ、、、それをあいつはコントロールできないし、、そもそも自由意志がないのならばあいつすら存在してない、、、、こうなります。全部の行動がこのように再構築されるのです。これはトレーニングです。何度も何度もこれを練習するといつか相手の中に自我を想像しなくなります。

意識をどこに向けるか

人間は見えない世界について一日中考える

あの時友人にあんなこと言っちゃたなー友人はそのこと気にしているかー。そういえばあの友人に最近連絡してないけど起こっているかなー、そういえば旦那に今日必要ないこと言っちゃったっけ、会社で機嫌悪いのかなーです。人間は今目の前の現象ではなく見えない世界のことばかりをやたらと考えて思い悩み1日を終えるのです。ですが本当は見えない世界では何も起きていない、無です。

重要なことは今目の前に起きること

今目の前で起きることは確実に起きています、幻想として、現象として。そしてその現象によって体験が積み重なっていくのです。本当は体験しか起きていないの現象自体は幻想です、ですが体験(見える、聞こえる、感じる、香る、触れる)は真実です。体験という物質ではない真実だけが積み重なっているのです。これだけが事実です。世界はあるがままの表現でありそのあるがままの表現の中で経験だけが起き続けているのです。それ以外は全て幻想です。ですが少なくとも今目の前に起きる幻想は事実ですからそことしっかりと付き合っていくのです。

その現象が現れた時に楽に付き合えれば良い

重要なこと、それは今目の前に居ない相手が現象化して現れたと時に楽しく付き合えること。そのためにこの真実を理解することです。今起こっているかな、今機嫌が悪いかな、今恨んでいるかな、、と悩むよりも真実を理解して軽く軽くなっていくのです。するとその相手が現れた時に気軽にフランクに付き合えるのです。とはいえこの体には自由意志も自分も存在しないのでそういう流れになるかは神のみぞ知るです。

物理的失敗時に気づくこと

何も変わらない

物理的成功時にはお金がなくなってしまったら相当ひもじい精神状態になるのでは???です。ですが実際にそのような状況に置かれてみた時に気づくのです、意外と何も変わらないと。お金とはあれば使いたくなるものですが無ければ使いたいという欲望がないので何かを買いたい、使いたいという欲求が減るのです。結果欲求不満にはならない、、となります。多くの方は今ここで感じる違和感の理由を物質的な何かのせいにしたがるのです。お金が少ないから、家が狭いから、旦那が気が利かないから、、と。ですが本当は本当はこの違和感は「自分」というこの存在自体が生み出したものなのです。

物理的失敗時に気づく

物理的失敗時に、、対して何も変わらないや、、、だからこのままでもいいや、、とはならない。。やはり自分という存在から発せられる違和感、孤独感、苦しみは常に続くのです。。経済的失敗がこの違和感の理由ではなかった、、このことに気づくだけです。ですからこの時こそチャンス、本当の本当の違和感の原因を解消に意識が動くのです。ただし自分を無くそう、自分を無くそう、、、という努力は、、自分にとっての目標になるので自分を強めます。

自分を無くそう!も画面内の努力

マリオが、、、苦しみの原因はマリオ自体だったと気付いて、、、マリオを画面から消そう、消そうという努力をしてもそれは画面内での努力になります。努力をしているのは誰ですか??マリオです。自分の尻尾を捕まえようと動き回る狐のようです。そうではなくマリオが全体に再吸収される仕組みに気づくのです、そもそもマリオの中には自分は居ないんです、居ないことを理解すれば居るという錯覚は消えます。誤解を解くだけです。

日本は不景気で多くの人の生活が困窮している?

目の前で起こることのみ

どのような悲惨なニュースがマスコミを騒がしていたとしても、、、目の前の現象だけが全てです、本当に目の前で困っている人が居れば、、それが全てです。私に気づかれていない事件は世界には一切起こっていません。もしもあなたの1日の中で目の前で殺人が起きていないのであれば、、、殺人事件は起きなかったのです、一切。私に気づかれていない現象は何も起きていないのです。もしも私が気づかないところで何かが起きるのだとしたらこの目の前のあるがまま(全部)は全部ではなくなってしまう。

自己中心的?

これは自己中心的とかそういう話ではないんです、本当にこの目の前以外には何も起きていないのです。例えば目の前に卵があるとして、、、本当はこの卵の中では細胞分裂が起きているんですよ!と聞かされたとしても「私」に気づかれていないのならば、、、起きていないのです。起きようがないのです、気づかれない現象は起きないのです。そして本当は気づくのは「私」ではありません、気づきの意識が気づきます。現象が現象に気づくのです。

気づかれない現象はない

マジックってあります、、目で追えない場所で様々な仕掛けがしてあってビックリするような現象が起きる、、、嘘です。本当は仕掛けなど起きていません、気づかれていないのですから。気づかれたことだけが現象として起きるのです。「私」がマジックをやる方であれば、、仕掛けに気付いています、つまり現象として仕掛けはあるのです。

森羅万象と気づきの意識は一つ

この世界の森羅万象

今目の前に広がる世界、森羅万象はそのまま気づきの意識でもあります。現象として起こると同時に気づきが起きる。現象の起こりとその起こりに気づくが同時に起きるのです。森羅万象の他に気づきの意識があるのではない、、二つは一つです。二元でなく非二元です。今目の前に鳥が現れました、、鳥が現れるという現象は気づかれてことです、現れると同時に気づかれているのです。気づいたのは「私」ではありません、気づきの意識が気づくのです。

目の前に子供が

車の運転中目の前に子供が飛び出してきました、この子供に気づくのは気づきの意識です。私ではありません、、子供自体(現象)がそのまま気づきの意識によって気づかれるのです。子供は現れたが気づかれることはない、、そのような現象は起きないのです。すべての現象は現れたら必ず気づかれるのです、私が知らないところで満開の桜が咲いている、、、そのようなことは絶対に絶対に起きないのです。現象とは気づかれることとセットなのです。

今も地球の裏側では、、、

今も地球の裏側では幼い子供たちがお腹を空かして、、苦しんでいる、、、そのようなことは起き得ないのです。目の前の現象として現れた時に同時に気づかれるのです、気づかれたその瞬間に現象は現象になるのです。でもTVではよく映像で流れていますよ、、その映像だけが現象化し気づかれました。気づかれない現象はない、、本当にこの世界はシンプルです。

思考は悪者ではない

思考が悪いのではなく、それを自分のものとすることで苦しみが生まれる

思考自体は悪くのなんでもありません、思考は泉のように湧き続けます、これからもずっと。重要なことは思考が湧いた際にそれを自分のものとする動き、感覚が、分離意識を強め結果苦しみを作り出すということです。思考を自分のものとすることが悪いことではなく苦しみを生み出すという事実を認識することです。寒いなー、暑いなー、楽しいなー、つまんないなー、、、、あらゆる思考が湯水のように湧きますが、、、それを自分のものとすることで分離意識が生まれ苦しみが湧くのです。

世の中の99.9999%の人が思考を自分のものとしている

この世界から苦しみが消えないのは思考を自分のものとする人がほとんどだからです。湯水のように湧き続ける思考を自分から湧いた、もしくは自分が作り出したと勘違いをしています。この勘違いが苦しみを生み出すのです。そして苦しいということも悪いわけではなくそれもあるがままの表現です、苦しいが本当にダメなことならば最初からあるがままは作り出しません。

死にたくなるような苦しみも

死にたくなるような苦しみすらもあるがままの表現です、これは至福の表現とも言えます。至福が死にたくなるような苦しみを作り出したのです、、これはパラドックスです。至福(あるがまま)自体は至福ゆえに至福がどのようなものか分かりません、それで作り出したのがマリオでマリオが死にたくなるような苦しみを感じることで至福の価値を再認識できるのです。これはあるがままの悪趣味です。我々はあるがままの悪趣味に翻弄されながら生きているのです、ストーリー上。

経験はあっても経験者は居ない

経験者不在の経験のみ

私たちの通念では経験者が先ずそこに居て次に経験がある、、経験者、経験、対象の3セットでこの経験は成立していると考えています。幻想の世界ではその通りです。ですが経験者は幻想、対象も幻想であるとなるとあるのは経験だけです。幻想二つで経験が生み出されています。経験から幻想を引き算すると経験のみです。経験だけが毎秒毎秒重なり合い、、時間があるという思考が湧き上がり、、その思考を気づきの意識が気づきます。その思考を作り出す経験者は居ないしその思考に気づく経験者も居ないのです。

これからも死ぬまで経験者不在で経験だけが積み重なる

この体が誕生してから我々は経験だけを積み重ねてきました、経験者不在で。そしてこれからも経験だけが積み重なっていきます。毎瞬毎瞬、、経験は確実にあるのですが物質ではありませんから無です、、、経験という無を重ねて重ねていくのです。この無の集大成があるがままです、あるがままがたった一つのエネルギーであることはここからも分かります。

それが分かったところで

それが分かったところでこれから我々の人生に何か影響があるのか????我々は実はこの経験を積んでいる経験者を凄く重視するのですが、、、経験者って全く出てこないのです、、経験者って想像の産物でしかありません。経験者という想像の産物に重きを置くから緊張が走るのです、本質ではないからです。想像の世界、ストーリー、ゲームに入り込んでしまいます。本当は経験者(マリオ)は実在しません。それが本当に腹落ちするとこれからの人生(本当はない)は軽くなります。

私が居てあなたが居る、この大前提は苦しみの始まり

全ては一つの生命現象

私というものを強く強く意識しますと、相手のことも当然意識します。私を尊重し相手も尊重する、、尊い行為のようでいて実は苦しいのです。実は全く一つのエネルギーがただ動き表現されているだけ、私とあなたを遮るものは実は全くないのです。にも関わらずあると思う思考が起き上がっているのです、そしてそれを気づきの意識が気づきます。

あの人はこうだ、あの人はこうに違いない

周囲の人を批判の対象にするのはその人の中にその人を統率する自我が存在していると信じているからです。だからこのような行動、仕草、言動をするからにはこんな性格の自我が存在しているはずだ、、という思考が湧き上がっているのです。そしてその大前提にはこの体の中に強烈な自我が居ると信じる思考があります。これは強烈な分離意識ですからその時点で苦しいのです、たった一つのエネルギーが分離していると信じることで緊張が生まれます。

真実に戻る

本当はたった一つのエネルギーがただ揺れ動いているだけです、その動きの一つが今いる相手から言葉として現れます、そして次の瞬間にまた他の人間から言葉として現れます。ただそれだけです、そしてこの私の体からも言葉が現れます、、ただこれが起きるだけです。もしかしたら嫌味な言葉が相手から起きるかもしれませんがただ起きただけ、そこから推測をしなくていい。もしかして推測が起きればただ苦しくなります、なぜならばそれは分離意識を強化するから。真実はたった一つのエネルギーが揺れ動いているだけです。

自我の役割を剥がす

五感からの情報収集

自我の役割の一つ、それが五感から得たあらゆる情報を整理することです、、、例えばテニスプレイヤーであれば相手の顔色、息遣い、動きのキレ、顔色、筋肉の張り、、、、全情報をインプットして整理して、、、今日のプレイスタイルを判断していきます。100パーセントの力で戦うか、80パーセントぐらいにしとこうか、、などです。自我はこれをやっていると思っています。ですが実際には全部気づきの意識が気づいています、、その全ての情報を。そしてその気づいた情報に基づいて作戦が湧いてきます、、その作戦に気づきの意識が気づくのです。

思考を練り上げる

自我の役割の一つが思考を練り上げることにあります、、右に打とうか、左に打とうか、もしくは浮かせるか、もしくは接近戦か、、、よし接近戦にしよう!!!と、、作戦隊長的な役割を自我が担っていると思っています。ところがその全ての思考は勝手に湧いてきています、そしてどれを選ぶかも勝手に湧いてきています。そして湧いてきた思考に気づくのは気づきの意識です。

行動を起こす

練りに練った作戦を通じて実践するのも自我の役割です、、実際にこの体をそう仕向けなくてはならない、、、ところがこれも違います。実際にはその行動が勝手に起きています、勝手にその行動を起こしているのです、この体が。作戦とは全く違う行動を起こすこともあれば作戦通りに動くこともあるでしょう、、その全ては勝手に起きています。そしてその動きに気づくのは気づきの意識です。

あれ、自我は何もしてない

そうなると自我は何もしていないではないか!!そうです、何もしていないのです、、何もしていないのならば自我って本当は存在しないんじゃ、、、そうです、存在しないのです、残念!!!え、、じゃあ、、みんなはこの体の総合責任者、CEOとして自我を持ち上げているけど、、その席には実は誰も座っていないということですか????その通りです。誰も居ません、、、マリオの中には誰も居ないように、この体の中にも誰も居ないのです。じゃあ自我が消滅する、自我が再吸収されるという言葉も幻想???そうです。本当は最初から誰も居ないのです。居ると思い込む感覚、エネルギーが消え去るのです。