緻密な絵
ここに世界一絵が上手い人が描いた絵があるとしましょう。そこには花、鳥、昆虫、人間、雲、太陽が完全完璧に描かれています。その中の花、昆虫、鳥、人間、全てはまるで存在しているかのようにそこには存在します。それを子供に見せればそこに紛れもなくそれが存在するかのように存在します。これが「存在感」です。もしも子供がその事実を知らなければ彼は「花、昆虫、鳥、人間がそこに在った」と認識し次に進みます。
感覚
我々が花、鳥、人間、雲の存在を認識する時、、「存在感」のことを言います。「存在感」を感じたからそこに「存在」を認識するのです。存在感を感じたからそこにはそれが「あった」と判断するのです。「自分感」「私感」も全くこれは同じです、、、この存在感を感じたからそれがあるのだと判断してきたのです。
もしも
もしもこの「自分感」「私感」を脳によって強制的に作られてしまったら?????どうでしょうか?????その紛れもない感覚があるのだから「自分」「私」の存在を信じてきたとしてそれを反論できますか?????そうなんです、、「自分」「私」とは脳が作り出した「自分感」「私感」だったのです。この感覚が紛れもないから「自分感」=「自分は在る」という誤認識が生まれたのです。ですが実際には一枚の絵の中に「個別分離した自分」は存在できません。なぜならばそれは一枚の絵だからです。
つまり
つまり我々はこの現実と呼ばれる一枚の絵の中に「花」「樹木」「犬」「鳥」「人間」「私」という「存在感」を感じ、感じたのだから存在するのだという誤認識を続けてきたのです。本当は存在感だけがあって存在は存在しないのです。そこにはただ変化する一枚の絵だけが存在します。現実とは「空」「絶対」から放射された投影であり、、一枚の絵のようなものです。その絵の中に「存在感」が起こり続けドラマが生まれます。