スピリチュアルな高揚感の危険

インナーチャイルド、退行催眠、オーラソーマ、

私もかつてはスピリチュアルにどっぷりとハマり本を貪って読み込む時期がありました。私の過去世は何をしていたのだろう、自分のオーラの色は?チャクラ開発とは?、、、あらゆる本を貪って読んでいた時の不思議な感覚の一つに高揚感がありました。一般の人達は目に見える世界だけを信じていて狭い視点しかない、現世利益だけを信じて生きている人達はなんて寂しいのか、まだお金や地位、名誉や常識に囚われているのか、、残念な人たちだと他人を見下して生きていたのを覚えています。ですがその一方で高揚感とともに増えていく不安感が確実にありました。何か違う気がする、、

今までと何も違わない、、、

スピリチュアルにハマる前の私は、就職先を誇りに思っていました。安定した大きな組織に勤めていた自身は他人を見てはなんて大変な環境で働いているのだろうか、とやはり他人を見下していました。収入も多く、安定していたのでそこに至らない周囲の人々を見下していました。努力をしてきた自分はこのような組織に勤めれるのは当然でその努力ができない人間はそこに至ことができないのも当然だと見下していました。

自分が居るというこの感覚を捨てない限り延々とこの見下すモードから解放できない

人間というのは常に見下したい生き物なのです。他人よりも自分が上であると感じながら生きていたいのです。私も私の友人も他人よりも上だ、、この感覚を持って欠乏感を埋めたがるわけです。欠乏が先ずは先にあってこれをなんとか埋め続けて生きていきます。神が人間になり切って生きているのがこの人間ゲーム、夢ですがこの夢の中にいる限りこの見下したい願望がなくなることはないでしょう。なぜならば基本が不幸だからです。ですがもしも自分が神であることを確信的に思い出したならばもう他人を蔑む必要はなくなります。なぜ神が自分が作った夢の中の登場人物に対し優越感を感じたがるのか?です。こんな馬鹿げたことはありません。

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