幻想のこの世界にコントロールできる誰かはいない

コントロールしようにも幻想ですから

この現象界には幻想しか存在しません、、、すると思考をコントロールできる実在というのは存在しえないことがわかります。思考、行動をコントロールできる虚像はありえない、、そうです、、この虚の世界は完全自動反応システムです、、その中で私がコントロールしているぞという思考がただ起こるのです、、、これも幻想の現れの一つです。そしてその思考すらも絶対という存在があるがゆえに気づかれていきます。

絶対が気づくのではない

絶対が気づくのではありません、、絶対が成長することはないのです。成長してしまったら絶対は絶対ではなくなってしまいます。そうです、、絶対があるがゆえに気づくという現象、幻想が起きるのです、色の変化に応じて。絶対は既に絶対ですから絶対が新しく気づいていくのではありません。絶対には影がありその影が変幻自在に動くことでそこに気づくが自動的に起きているのです。その気づくを個人が所有するというさらなる幻想が現れることで個人ストーリーが現象として今現れています。

絶対の影が現象

絶対、空の影、、これが現象、色、幻想です、、我々はこの影の移ろいを感じています、、しかもエンドレスに、、なぜならばこの影は絶対、無限の影だからです、、、この移ろいを感じることを個人という影が所有するという動きがやはり現象として起こり個人ストーリーが今まさに展開しているのです。この個人ストーリーは絶対には何も影響を与えず、、ただ起こるのです。

影の中に影をコントロールできる影は存在しない

今外に出て自身の影を見てください、、この影は完全受け身であり、、、個人の動きによって変幻自在に移ろうのみです、、、この影の中の影の一部において、、影の動きをコントロールできる一部は存在しえないのです。人間とは絶対の影であるにも関わらず自身の動きをコントーロールできると信じる痛い存在なのです。影の動きは絶対に依存しており、、コントロールできるようになることは未来永劫ないわけです。これがサレンダー、悟りです。

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