ラベルの世界からの脱出

人間たるものこうこう常識を重視して、、、

人間たるもの、、こういうことはやらない方が良い、、これは従おう、、常識を少しづつ覚えて、、、とまあこのイメージの世界では、、社会人としての嗜みが求められます、、、ですが何であろうと、、この私も、、相手も、、全部が全部言葉で支配された世界の住人ですから、、イメージでしかありません。。言葉で決められた物が全部が全部イメージです、、、このイメージの世界で、、この私というイメージを向上させようとい試みは、、イメージの社会で多少は役に立っても、、、至福とは全く関係がありません。。至福とはこれがイメージあるという気づきが起きる以外にないのです。

イメージ同士の強化

他人と一緒に居るのがなぜ苦しいかといえば、、、その他人がイメージする役柄を演じ続けなくてはならないからです。相手も見かけ上の私がイメージする役柄を演じ続ける、、、これが辛いのです。。。本当はこの私も相手もイメージでしかないのです、、、、イメージという創造行為をエンドレスに続けていくのは苦しいのです、、本質ではないから。本質は本質の時に至福になります。本質はイメージになり切る時に同時に分離感が生まれます。

木を見ても木とは思わない、、不可能

我々は、、、木を見ればもう自動的に、、木というイメージが湧くように設定されてしまっています。コップを見ればコップというイメージが即座に湧く、、ですからこれを止めるのは不可能です、、、ですがこの仕組みを理解することはできる、、、、今見かけ上の私は、、、木という生命現象を見て、、木というイメージをそこに重ねた、、、だから木という独立分離した(見かけ上)存在に気づいた、、、となります。。全部はイメージ、、イメージのというレイヤーを現象に重ねただけ。。。。だからこの世には何の意味もないですよ、、と覚者は言います。。。たった一つのエネルギーにラベルを貼り付けまくり、、イメージを創造し続け、、、この私というイメージが、、この独立分離した世界を旅するというイメージを作りあげます。そこに意味はないです、、意味とはまさにこの言葉の世界が作り出したファンタジーです。

(Visited 3 times, 1 visits today)