自己というイメージの解体

そもそもは存在しなかった

私とは言葉です、、言葉はその場でイメージを作り出し、、そのイメージがなるで実在するかのように感じることができます、、これが人間の脳が作り出した体平和維持装置です。この体を所有する私という存在を作り上げることで、、、、この体はより安全にこの体を保持できるようになったのです、、体だけじゃない、この私も、、この体に組み込まれ、、、めちゃくちゃ大事な存在になった、、この私は必死になってこの体を守ろうとする、、なぜならば、、、この体の中には「私」が居るのだから。

覚者は「私は居ない」を連呼する

大人になって悟りの本を読んでみる、、、「私は居ない」もうその頃にはすっかり自分というイメージが定着し、、、全く疑いもしない存在に、、、私はがっつりこの体に組みこまれVIP扱いになっています。人間同士はお互いにこの名前がついた「私」を呼び合うまでに、、イメージを共有し最大限強化しています、、、私がいない、、なんて何を言っているのか???です。

私と決着をつける

これだけ強化されたブランドイメージ、、、このイメージが実は実在しないなんて、、どうしたら思えるのか???これをするにはブランド立ち上げから確立までの流れを俯瞰するのが一番、、なぜ我々は名前を呼び合っているのか???そもそも私が居たから、、、名前が付いたのではない、、、名前をつけることで「私」というイメージが誕生したのだ、、、この気づきを得ていくことで、、「私」というイメージに対する関心を薄めていきます。

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