無欲の勘違い

仏教のイメージは間違っている

禅や仏教と言いますと、、何か無欲の世界、、、といったイメージがあります、、、ただ淡々と静寂、、無欲の体現者の世界、、をイメージします、、、これは間違ってはいないのですが実際には、、お腹が満腹なだけ、、、欲を満たし切ったために欲が湧かない状態なのです、、、ですから多くの方がイメージするような世捨て人的なことではないのです、、、美味しい美味しい料理を食べ過ぎて、、もうお腹いっぱい、、その境地です。

全部が全部自分ならばお腹いっぱいに決まっている

お腹いっぱい、、この夢の原理原則が理解できますと、、、この夢の中の現象、現象物、は全部自分自身だということが分かります、、、夜見る夢の中の登場人物、環境全ては夢を見る人間が作り出しました、、、この現象界界は誰が作っているのか???自分です、、間違いなく自分です、、、ですから、、、全部が自分、その動きも自分、そこで起きる経験も自分です。これが分かってこの体は何を求めるのか???

飢餓状態が当たり前

この思考、この体、この動きを、、自分と勘違いし、、、周囲は全部自分以外と勘違いする、、、究極の不足感を感じるゲームを我々は行っています、、、本当は真逆で、、、、コントールできない世界が自分、、、そしてコントロールしているつもりのこの体も実はそういう勘違いが起きているだけであって実は全くコントロールできていない、、つまり全部が全部コントロールできていない、、、つまり全部自分なのです、、、

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