あらゆる生命現象に名前をつけてファンタジーにした

名前など何もない世界

この世の生命に名前など本来全くありません。草に名前を付けたのは人間で動物に名前をつけたのも人間です。人間は見える範囲の全てに名前をつけてさも独立した何かがあるかのうようにしました、事実では何もない、、ただ生命現象が移り変わるだけです、その中に居る人間にも名前などなく後付けで名前をつけその中に独立した何者かがいると勝手に想像しているだけです。この現象界に名前が最初から付いているものなど皆無です。

思考が紡ぐファンタジーの世界にようこそ

名前が一切ない全体、根源の現れに名前をつけて我々人間は進化していきました。生命現象に名前をつけてそれを記憶しそれを後進に伝えていったのです。そのようなことが起き続けていきました、その結果名前がつけられた独立した何かがこの世界には溢れまるで独立しあった存在同士の争い、共闘、和平、共存が繰り広げられているように見える世界が生まれたのです、人間の思考の中だけのファンタジーが誕生したのです。そもそも争うなど一切ない世界に名前を付けて独立した何者かが溢れたことによって争っているように見える世界が誕生したのです。

全ての生命現象から名前を取っ払えばあら不思議、、平和が鎮座する

試しに全ての生命現象から名前を取り除いてみてください、、、争いは無くなってしまいます。チーターがシマウマを襲ったという映像においてチーターが居なくなり、シマウマも居なくなれば何かが何かを取り込んでいるように見える映像に変わります、これが真実です。ここには争いが起きようがないのです。名前がない世界には争いが存在できないわけです。

勝手に名前を付けて恐ろしい世界になったと嘆く自分

体の中を観察すれば善玉菌が悪玉菌を殺す、悪玉菌が善玉菌を殺すなどの表現がありますが、、それもせ明現象に名前を付けただけんことであって変化が起きただけです、名前さえなければ争いは起きようがないのです。ただ変化が起きているのみ、、、これは人間社会も同じで名前がついたから争いと表現されますが名前がなければ変化がただ起こっているだけ、、、その変化に対し自分が居るという思考と感情という思考が湧き続けているだけです。全生命に名前を付けてファンタジーの世界にし自分も作って自分ストーリーを日々奏でているのです。自作自演にもほどがあります。

だから人は悟ると何もないと言う

覚者は全員こう言います、何も無かった、、、当たり前の話です。名前は人間が発明した技術であって名前が発明されるまではこの生命には何もなかったのです。そこには生命現象しかなくそして今もそうです。人間が発明した名前の技術が継承され続けているだけです。この世の苦しみとは名前を付けまくった人間が自分という存在(ファンタジー)を作り出しこの自分という檻の中に完全に閉じ込められてしまった錯覚を生きているからです。元々は何もなくそして今も何もないのです、独立した何者かが確実にあると信じ合う世界、独立した何かがあるという共有の中で生きる時のみ苦しみが湧いてきます。

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