神はその段階での遊びをしている

身内であればあるほどに

身内の人間、家族や、親、子供など、、、親しい人であればあるほどに苦労しているように見えると知っていることを伝えたくなります。もっとこうすればいいのに、もっとああそればいいのに、、、ですがこれは大いなる存在のパテストリーアートを否定しています。大いなる存在、宇宙の現れにおいて間違いは何一つありません、ですから当然そこに改善しなくてならない現実は一切ないのです。赤の他人であればそれもできますがなかなか親しい人間となるとこれができない、、何かアドバイスをしたくなるもの、、、ですがこれはあくまで宇宙の表現、たった一つのエネルギーは織りなすアートです。本当はそこに分離した何かは存在しないのです。

何か言いたくなる、、、身内には

何かをアドバイスすのが悪いわけではありません。ですがあなたの目の前にはたった一つのエネルギーが織りなすパテストリーがあるだけ、、この事実を忘れてしまいます。我々の目の前には後付けされた名前によって分離された幻想が広がっています。これに当然身内の人間も騙されているわけですがかと言ってそれすらも完全な宇宙の表現です。何一つ間違ったアートはないということを認識した方がいいです。もしも身内が苦悩に打ち拉がれているならばそれすらも完璧な宇宙の現れです。

少なくとも、、、自分は人間であるという勘違いを解消させてあげることは不可能

究極的なことを言えばこの体、思考、感情を「自分」と捉えている間は苦しみから解放されることはありません。それがいかにハッピードリームに見えても夢は夢です。この自分がいて他人がいて、バラバラの物質が配置してあるというこの人間の大前提は思考が作り出した幻想です。この幻想の中にいる限りはどこまで行ってもこの居心地の悪さは解消されないのです。ですから下手なアドバイスをしてもほぼ意味がないということになります。

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