見た目が衰えた時の自我の反応

自我は自らの見た目を最重要視する

この人間を大いなる存在と切り離しこの心身であると考えるのが自我です。この自我は大いなる一つという大深淵な存在と分離していると考えています。これは外から見れば大いなる存在の上に乗った衣が、我こそは衣であると宣言しているのと同じです。人間とは本来大いなる存在の上に衣が乗って分離しているように見えている存在なのです。意味が全く違ってきます。ということで人間とは自身を衣と勘違いした生き物ですからこの衣の見栄えが良いか悪いかに命をかけるわけです。衣のためならば命を捨てる覚悟です、これが人間です。

それでもこの衣は年数で衰えていく

この衣の恐ろしいところは歳を重ねるに従い確実に衰えるということです、衰えない衣は存在しません。これが衣の宿命でしょう。もしも自身をこの衣のみの存在であると確信している人は年数を重ねるとは自分に価値がなくなっていくことであると捉えるようになっていくのです。だからこそ見た目の衰えは自身の価値の衰えであるという大惨事になるわけです。

本当は衣には価値がなく、その奥に価値がある

自身をこの衣であると捉える人間にとって衣の衰退は自身の衰退です。大女優が自身の衰えを痛感し自分にはもう価値がないと悲観するのは当たり前なのです。見た目に自身のアイデンティティーを強く感じてきていた人ほどにこの傾向は強くなります。実際にはこの衣に価値を見出せなくなった時に本当の価値(大いなる存在)が見えるようになります。見た目に自信が無くなった時にこそ大いなる存在という衣の奥の存在に興味を持てるのです。自我がどれほど衣に関心を寄せ衣の向上のみに行動している時もその奥には大いなる存在が確実にいました。いつこの本質に気付けるか?それが今です。

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