覚醒呼吸法・断食法

慢性的妄想症

人類

人類とは慢性的妄想症です、、、全人類がこの病気にかかっています。朝起きた瞬間に「私の人生」がスタートし、、学校に行かなきゃ、会社に行かなきゃ、職場に行かなきゃ、、、が起こるんです。逆に言えばこの「私」がスタートしなければ学校、会社に行けないですよね????私という存在なくして、、学校に行こう!!!ってならないと思います。

エリート

この世界でエリートと呼ばれる人々はこの私ストーリーを、、極めていく人々です。より負荷の高い勉強、仕事をこなしてしまう人々です。この「私」に多くの負荷が乗ってもそれを乗り越えてしまう人々なのです。「私」を生きるだけでも大変なのに、評価される私、称賛される私、自慢できる私にまでアップグレードしていきます。どこかで破綻するまで「自分」を作り上げていくのです。

呼吸法

慢性的妄想症をその場で解消する方法があります。呼吸法です、、意識を呼吸に完全に意識させます。意識が思考に意識している段階では妄想症は治りません。妄想症とは意識が思考(妄想)に意識したままロックされてしまった状態です。我々は朝起きた瞬間からこの状態を強要されてきたために意識が妄想に意識しているようになったのです。この状態を打破するには意識を体全体に意識させることです。思考、脳ではなく、、、体全体に意識を意識させると、、、突然視界が晴れて次の段階に進みます。

これじゃ嫌だ

この玩具じゃ満足できない

自我が芽生えてきますと、、、「この玩具」じゃ嫌だ!!!が起きてきます。嫌だ嫌だ病です。この玩具じゃ嫌だ!!!!はこの後死ぬまで続きます、、この成績じゃ嫌だ!!!この学校じゃ嫌だ!!!!この会社じゃ嫌だ!!!この相手じゃ嫌だ!!!この家じゃ嫌だ!!!この政府じゃ嫌だ!!!!この老後じゃ嫌だ!!!です。本当はこれしかないのに、、これが嫌!!!!なんです。

ここに全部ありますよ

悟り????ふざけんな!!!!です。ここに全部ある?????冗談じゃない、、こんなに不満足なのに何が全部あるだ!!!!ですね、、、、この「私」をこの世界に登場させてしまったが最後、、、これじゃ満足できない!!!なんです。なぜならばこの「私」こそが不満足製造機だからです。

呼吸法

これじゃ嫌だ!!を生み出す大きな要因は雑念が止まらないことです。雑念が止まらない状況は苦しみが止まらない状況なのです。ですから雑念を強制的に止めてしまう、、これが効果莫大なのです。「私」という思考、概念を強制的に止めてしまう、、それが呼吸法です。呼吸に意識を向けて意識的に呼吸を行います、、ハッキリと視界が変わるまでこれを行います。何度もこれを続けていきますとある時、、思考が湧いていないことに気づくのです。雑念が落ちますと、、嫌だ嫌だ!!も終わります。

データ更新

松ちゃん

松本人志の過去の行動が日々批判の的になっています。お笑いは一流だったが私生活は三流だった、遊び方がケチだ、、後輩を利用するのはパワハラ、、多くの批判がありますが全部を的を外しています。彼の行動の全ては彼の過去のデータ上、、最善最適だった、、、彼は過去に最善最適な行動しかしたことがないし、これからもそう。これが真実です。仮にお笑いが超三流であってもそれが最善最適な選択だったということです。

後悔も不安もない

この事実が理解できますと今後後悔も不安も期待も全て無くなります。三億円のチャンスを過去に失っていてもそれも最善最適な選択だったし、今後また三億円のチャンスを失ってもそれも最善最適なのです。最善最適な行動しか選択できないというこの縛りは後悔不安期待の全てを消し去ります。勿論、松本人志さんが今後過去のような行動を再現する可能性は低いでしょう、なぜならば今回の事件で最善最適が変わるからです。ただしその方向展開は「自分」がやっているのではありません。

呼吸法

呼吸法をマスターしますと、、思考の渦、後悔の渦、渇望の渦から意図的に脱却できます。松本人志のように思考全開で仕事をしていますと、、プライベートも思考全開モードが途切れることはなく苦しみから解放されません。直接的に意識を思考から脱しないと、、苦しいままです。呼吸法で思考への意識を体全体への意識にシフトさせます。勝手に思考が湧いてくるこの状態を脱却できますと後悔も不安もできなくなります。後悔も不安も起きない状態で、、人を傷つけるかもしれないような行動が起きません。

「自由意志がない」気楽さ

所詮は他人事

自分の行動は自分が背負うべし、、、この考え方がどれほどこの人生を重いものにするかということです。自由意志がないという諦めはこの重さを一気に軽くしてくれます。自由意志って本当にないんです、なぜならば思いつく思考は完全に湧いてきていて、、その湧かすをコントロールできる自我など存在しないからです。過去のデータからもっともベストな回答が勝手に湧いてきて勝手にその通りに動くのが我々なのです。

他人の行動

他人がいかに失敗してもそのことで夜寝れないってないんです。なぜならばこちらには全く責任がないからですよね。自分の行動は自分でコントロールできると信じているから、、自分に起きる出来事に深刻になれるのです。ですがこの自分の行動は全くもってノーコントロールであることが分かると一気に深刻さが消えるんです。だって他人の行動と全く同じじゃないですか。

究極の教え

自分の人生を他人事のように捉えることができますと、、、人生の辛さってほぼないんです。だって他人のことでそれほど悩みませんよね??????つまりもうこれからは悩む必要が全くなくなるんです。自由意志がないというこの真実は人生から深刻さを完全に無くします。同時に過度な期待もなくなるのですがそれが最高なんです、本当はこんな暮らしができたはずなのに、、、がないんです。

呼吸法

これほどの真実が理解できたとて、、思考の渦はなくなることがありません。なぜならば意識が思考を意識している期間があまりにも長いからです。ですから意図的に意識を思考から外す必要があるのです。そのために有効なのが呼吸法、、、呼吸に意識を意識することでその瞬間思考から意識が抜けます、、意識が思考ではなく呼吸に意識を向けるのです。これを1日に何度も行います、思考が湧いたら呼吸法、思考が湧いたら呼吸法です。意志が自動的に思考に意識しなくなるまでこれを行いますと、、、苦しみが消えます。

誹謗中傷評価称賛

楽になりますか???

ツイッターなどでは日々あらゆる発言に対して誹謗中傷評価称賛が繰り広げられています。有名人が何か一言呟けば「さすが!」「最悪」「神」「酷い」などの嵐のような評価が起こるのです。これらの呟きを読んではたして人は楽になるのでしょうか????なりません、、むしろ苦しくなります、絶対。なぜ苦しくなるのか?????そこには呟く人間の「人格」査定が起こっているのですが、、その「人格」がリアルな世界には実は存在しないからです。存在しないものを存在しているという空想を信じていきるのは緊張だからです。

人格の話は疲れる

Yahooニュースを読んでみてください、、、そこにはその日のニュースが載ってますが、、、そのニュースの裏には確実にその人間の「人格」査定が起こっているはずです。大谷翔平半端ない!木村拓哉最近どうなの?松本人志最悪!、、、、などです。人間の体には人格というものが確実にあって、、、その人格査定を行って楽しんでいるんです、、、、、ですがその後楽になりますか?????間違いなく苦しくなっているんです。

無いものを有ると想定して生きるってしんどいんです

裸の王様って童話がこの真実を如実に表現しています、、本当は服を着ていないにも関わらず王様は着ているという想定で国民に会おうとする、、、国民は王様が服を着ているという想定で王様に接する、、、、これが苦しいのです。。。ある時子供が「王様は裸だ!!」と言ってしまう、、、これによって王様も国民も救われる、、です。人格ってリアルな世界にはないんです、空想、思考の世界に存在します。

呼吸法

思考の世界から意識的に脱却する方法があります。思考の世界に生きるには意識を思考にフォーカスさせなくてはなりません、、意識が思考に意識するしか思考の世界には住めないのです。この真実に気づきますと、、意識を思考ではなく思考以外に意識させることができるようになります。実はこんな簡単なことで思考への意識集中を思考の住人からの脱却を可能にします。呼吸とは意識的に内臓を動かせる唯一の方法です、肺以外の臓器は意識して動かすことはできませんが肺は能動的に動かせるのです。呼吸から内臓全ての感覚を変えていきます。思考、脳に集中してしまっている意識をそこ以外に向けることが可能になります。

衝動が起きない

こうしなきゃ

我々は勝手にやらなきゃいけないリストを増やしていき慌ただしく生きています。まるでやらなきゃいけないリストが多いほどに真っ当な大人であるかのようです。お正月には年賀状を書いて、大掃除をして、神社に行き、同窓会にも参加し、親戚参りをし、、、と怒涛な日々を送ります。一方何もしなくていい、、という人もいます、、お正月には何もしない、、、、です。一体なぜここまで差が生まれるのでしょうか?????

何もしない、、が出来ない

思考の住人は何もしないが出来ません、、、常に苦しいので、、、、何かをして少しでもこの苦しみを排除したいと動くのです。そのまま=苦しいですから何かをすることでしかこの苦しみを解除できないんです。そこでやることをリストを量産し、それをこなすことで安心しているのです。慌ただしく動き回ることで本質の苦しみを見て見ぬふりをしているのです。

苦しいが起きなければ

今ここに苦しいが起きないのならば、、、何かをしようも起きません、、、苦しみを消すための何かが起きないのです。何かをしなくては!!!は苦しみの衝動があってこそなのです。ですから今ここで苦しみを消してしまいます。それが出来ればもう衝動的に動いてこの意味不明な苦しみから逃げ回る必要もないのです。

呼吸法

今ここで苦しみを消す方法があります、呼吸法です。今ここで苦しみを作り出すには、、思考に意識が意識するしかありません。苦しみとは思考の世界に入り込むことでしか発生できないので、、そのメカニズムを壊します。どうやって?????思考に意識を意識させないのです。意識に、、体全体を意識させます。思考に集まった意識を体全体に意識させます。呼吸を深く観察することで思考に集中した意識を手放していきます。視界がハッキリと開き、音が鮮明に聞こえてくるようになります。このとき苦しいが湧いてきません。

思考の住人VSリアリスト

争いになれない

思考の住人は争いをふっかけ、、、、なんでこんなことしたんだ???なぜ?????と責め立ててきます。その行動に原因があるはずだと責め立ててきます。。。しかしリアリストは、、、そのストーリーには乗りません。それはただ起こったから、それが起こった、その行動がたまたま起こった、、で終わりです。思考の住人は落ち込ませ、後悔させ、、思考の中で戦おうとしてきますが、、リアリストは、、思考の中には入らないのです。

思考の中での戦いに持ち込む

思考の住人は思考というホームの中での戦いに持ち込もうとするでしょう、、、本人が「被害者」を演じこちらを「加害者」にしてこの存在を知らしめようとします。ですがこれが既に思考に導く罠なのです。本当はそのような人格など、、リアルな世界には存在しません、、ここから離れることで苦しみが起こっているだけなのです。

人格否定

争いのほとんどは「人格否定」ですがその人格がリアルな世界には存在しないのです。人格とは空想上の幻想です、、これがまさにあるかのような戦いは、、空想に持ち込むテクニックなのです。真実の世界には存在しないのですから空想戦に持ち込むほかないのです。リアリストはその手には乗りません、人格否定争いに乗らないのです。つまり真実ではないメッセージを無視します。

呼吸法

思考の住人からリアリストに変化するには、、、思考に意識が意識している状態を脱しなければなりません。意識が思考ではなく体全体に意識するとき、、、自動思考が終わります。思考とはこのリアルな世界に幻想を生み出す機械ですからこれを止めない限り思考の住人を脱することはできません。呼吸に意識を常に向けることで思考に意識が集まっていたメカニズムをその場でそれを壊します。思考に意識が意識できなくなったとき、、ここがリアルな世界に戻るのです。

覚者が解放を語りたがらない理由

周囲はストーリーを聞きたがる

どのタイミング、何をやって、どういう状態で解放が起きたんですか?????悟り本、ノンデュアリティスピーカーにまつわるエピソードでここがもっとも注目トピックです。質問者の多くがここが知りたい!第定番です。ですが、、覚者はこの質問にウンザリした顔をします。なぜでしょうか??????それは多くの人はエピソード、ストーリーを聞きたがるからです。ところが見かけ上の覚者が気づいたことは、、ストーリー、私が思考が作り出した幻想だった、、、という気づきです。ストーリー上の何かの要因がそれを起こしたのではなく、、ストーリーそのものが幻想だったっという気づきなんです。

マリオに何を聞く????

見かけ上覚者になったマリオに、、、質問者が聞きます、、、クッパを倒したその瞬間に悟りが起こったんですか????第7ステージで何度もドラム缶から落ちたときに悟りが起こったと聞きましたがなぜなんでしょうか????マリオはある時、、確かにこの画像が全てゲームで、、このマリオも画像に過ぎないことに気づきました。時間も空間も実はゲーム上のことだったと、、その気づきと、、クッパ、ノコノコ、、第何ステージ、、、とかあまり関係ないんです。

そうか!!クッパを倒せばいいんだな!

マリオがたまたまクッパを倒し切ったとき悟りが起こったと聞けば、、多くの方は、、、、よし私もクッパを倒して悟りを開こう!となります。ですが状況は実は悟りとは何も関係がないんです。ゲームがゲームに気づくタイミングって千差万別過ぎるんです、、、全状況によって異なるはずです。だからそこはあまり重要ではないんです。しかも気づくのはマリオじゃないんです、、マリオこそが画像に過ぎないという気づきですから。

呼吸法

呼吸法とはマリオというキャラの脱皮です、、ゲームの中から抜け出す方法です。呼吸法で思考、マトリックスの世界から飛び出します。思考に意識が意識している状態から意識が思考ではなく体に意識するように誘います。視界がはっきりと変わるまでこれを行うとき、、、マリオを通じた世界ではなく、、世界が世界を認識するようになります。世界がコーヒーを味わい世界がコーヒーの香りを感じます。そこにはもうマリオが居ないんです。

今と過去未来は次元が違う

今は今

過去現在未来、、この言葉が三つ並ぶことで、、、この三つは一直線上にあるかのように感じますが実は全く異なるものです。過去未来を実際に見た人はいないでしょう、、、現在を見ることはできますね!過去や未来は今(現在)に思い浮かぶことで現れる現象です。過去と未来は今がなけれな存在できないのです。一方現在は過去や未来がなくても存在できます、過去という記憶が飛んでも今は存続できます。過去と未来は現在の産物であり思考です。

自分も今には存続できない

記憶喪失になると「自分」が飛びます、、、現在に「自分」が居なくなるのです。自分とは過去の中にしか存在しません。今自分を思い浮かべることはできます、、ですがそのためには過去の記憶が必要になるのです。記憶が飛ぶと存続できない「自分」とは思考が作り上げた産物です。では現在に起こることは何か???体験だけです、「自分」不在の体験だけが起こります。

過去を振り返る、未来を想像する

今できることは過去を今振り返る、未来を今想像する、、これができます。過去を今作り出し、未来を今作り出すのです。今とは過去未来製造の場です。そして今は全経験の場です。今とは全現象、全経験を生み出す場なのです。今から全現象、全経験を全消去しますと何が残るのか?????全現象、全経験を生み出すスペースが残ります。これが我々の本質、空です。

呼吸法でこれに気づく

上記のことを頭で理解しようとしても頭の中のマトリックスの世界に閉じ込められます。それを理解しようとすることで「益々」思考優位になるからです。つまりマトリックス優位になるのです。ではこれらを簡単に理解したらあとはどうするか?????実践です、マトリックスから抜け出す実践です、、思考の罠から呼吸法で抜け出します。思考を使って抜けるのではなく呼吸法という実践で抜け出すのです。

思考の住民

思考の中に住んでいる

これは見かけ上の話ですが、、多くの方は思考の中に住んでいるように見えます。生きているけど、、住んでいる場所が思考の中なんです。いまここには居ない、、現実的には居ないことは不可能なんですが、、意識が思考に向けられているのです。見かけ上ですが。意識が思考に向けられていますと、、思考は幻想をその場で作り出し、、「私」も当然に作ります。つまり思考の中で私をやっているのです。

リアリティ

いまここが究極のリアリティであり、、ここは真の安らぎの場所です。ですがここにある真の安らぎには目を向けず、、思考の中の私が、、次の何かに向かって常に突き進んでます。そして突き進む目的はこの真の安らぎなのです。ですがいまここにある真の安らぎを思考の中の「私」は見つけることはできません。なぜならば「私」は思考の住人だからです。

思考から意識を抜く

意識とは本当はそのままで意識なのですが、、その意識がある特定の場所に意識することができます。意識が人間の思考に意識しますと、、思考がグルグルと湧き続けます。この思考が沸き続ける状態が思考の住人を生み出します。意識を思考ではなくいまここに向けますと、、真の安らぎを発見できます。呼吸法や瞑想で意識を思考から外すトレーニングをしますとその感覚が掴めるようになります。