言葉

事実に触れれば幸福になり空想に触れれば不幸になる

あの人は素晴らしい、、、でも苦しい

私の会社の社長は素晴らしい、だからこの会社に勤めていて幸せ、この幸福は一瞬で終わります。なぜならばその素晴らしい社長であるというのは思考だからです。絶対に事実ではない、その社長の体の中に独立した自己は存在していませんからあくまでそれは予想です。予想とは空想ですから空想の世界に顔を埋める行為をすればそこは息が苦しい場所なのです。

素晴らしい人も、酷い人も存在していない

事実はこうです、素晴らしい社長など存在しません、酷い社長も存在しない、、、事実を注意深く見ますと社長の体の中に誰かが鎮座しているだろうというのは推測であり事実ではないのです。あの体の中に独立した人格があるというのは予想です。つまり思考なのです。褒めても貶してもそれは事実ではない、、事実ではない世界に入ると苦しくなります。事実こそが絶対幸福、安堵、安心です。

私の旦那は本当に優しい人、、、

私の旦那さんて本当に優しくて素敵な人、、、こんな言葉を発する人の表情をよーく観てみてください。不安で震えているはずです。旦那さんの体の中に人格を形成する何かは存在していませからその人は空想にどっぷり依存しています。事実ではなく空想予想という思考の中に住んでいます。心地よさを感じる、居心地の良さを感じる、良い雰囲気を感じる、、、ただそれだけが事実です。こんな感情を湧かしてくれる素晴らしい人格が旦那の体には住んでいるというのは空想ですからその場所は苦しいのです、事実ではなく思考に意識が向いているのです。

人に依存しない

人に依存している期間は本当の穏やかさには出会えないのです。なぜならばその人の中には誰も居ない、、つまり空想に依存をしているから常に苦しいのです。人の中には何もなくこの先に何があるかは全くわからないことを悟ったら人に依存すたいという思考は湧かなくなります、これが幸福です。ただありのままの現象に触れ続けることこそが真の幸福なのです。そして先のことは全部決まっていることに気づくと特定の誰かに依存するという思考は湧かなくなります。

今ここで悟りを開く

今この場所が爽快

爽快であるのに条件が必要ならばそれは私というストーリーの中にい住んでいます。幸福であるのに条件が必要ならば私というストーリーの中に住んでいます。我々の本質は爽快そのものですから爽快であるために条件など全くいらないのです。覚者と呼ばれる人々が穏やかそうに見えるのはそれは本質が穏やかそのものだからです。自分を手放した覚者とは穏やかそのものにシフトした状態、もはや人間ではありません。人間という器を通じて全体が語りかけているだけです。

開く自己がいない

悟りを開くという言葉は人間が覚醒するイメージがありますがこれは間違い、体に住んでいるはずの自分は実はいなかった、自分が居るという思考が湧いてこない状態を言います。人間の体を通じて自分が居るという思考が湧いていなのがその思考がもはや湧いてこない、、この状態が悟りです。悟りを開く自己はいなかったという気づきが湧くことです。

嬉しい、楽しい、幸せを掴む自己がいない

嬉しを感じるのに自分は必要ありません、楽しいを感じるのに自分は必要ありません、幸せを感じるのに自分は必要ありません。ただその感情が湧くだけで何も問題はない、、、ところが嬉しい、楽しい、幸せを感じる自分が居るという思考が湧いてくる、、、感情を所有する自分が居るという思考が湧き続けます。これが苦しみを湧かせます。この嬉しい、楽しい、幸せを永遠に感じたいという思考が湧くのです。これで苦しくなるのです。なぜならばそんな自分は居ないからです。自分とは事実ではなく空想だからです。空想に顔を埋めると苦しくなるのです。水に顔を埋めると苦しくなるように空想に顔を埋めると苦しくなるのです。苦しいという完璧な感情が湧いてくるのです。ではどうしたらいいか?空想という場所に顔を埋めるのを辞めることです。

ただやらされているだけ

なぜやらされているだけ、、が嫌いなのか?

やらされているだけ、、、これを伝えると多くの方は眉を潜め嫌悪感を出してきます。こんなに人生が苦し重いのになんぜ、、全部自分でやっていると信じたいのか???ここは最高に面白いところです、毎日やりたくない仕事、家庭の責任、老後の不安、子供の将来、、こんなに人生は苦しいのだから全部やらされているだけだと分かれば全部の責任から解放されて最高のはず。どうしてもこの「自分」という存在を手放せないのです。今まで苦労が多かったからこそ一緒に歩んできた「自分」が居なくなるなんて想像できないわけです。

いつ死んでも、、

結局のところ人が死ぬのが怖いのは、、、良い死に方ができなかったら嫌だ、、があるからです。孤独死、餓死、事故死、、、本望ではない死に方は絶対にしたくない、、そう思っているのです。ですが実際には全員死に方を選べずただなすがままに死んでいきます。死に方に優劣が一切ないのはそこに自由意志は全く働かないということです。大金持ちで死のうと、大貧民で死のうと一切誰にも責任がないのです、誰という存在がないのですから。

生きているだけで丸儲け

生きているだけで丸儲け、、という言葉がありますがこれは全くの嘘です。人が生きるという設定自体が地獄なわけです、その人には間違いなく自分が鎮座していますからこの自分が居る限り幸福などありえないのです。人が生きるではなく、、、ただ感じるがままにする、、主人公が抜け落ちた状態を続ける、、その時に湧いてくる幸福感こそが確かなものです。

人類は進化の後退ではない

苦しめるというとこまで進化がきた

自分という存在、私という存在、、これらは錯覚ではありますがこの感覚を持てたのは生命の進化です。この私は苦しみ、居心地の悪さを感じ、違和感を感じる苦しい存在ではありますが、、だからこそ全体を再体験するというとんでもない経験をすることができる資格を持っています。これを体験できる植物は存在しません。人間だけが苦しみの先に全体への再統合というビッグプロジェクトを抱えることができるのです。このプロジェクトの最重要事項は個人としての苦しみです。

苦しい、楽しいを超えて

二元のストーリーの中での苦しい、楽しい、、は全部夢の中での一瞬の体験です、楽しいと思っていたら苦しいに変わり、、また楽しいに変わる、、、この安定しない状況こそが「苦しみ」です。だから人間は無理くり安定を作り出すために知恵を集め終身雇用などの制度を作り出したりします、ですがこれが人間の不安感を完全に払拭することなど不可能です。人間がこの夢の中で作り出した制度が人間を幸福にできないことは明らかです。この楽しい、苦しい、面白い、つまらない、、、の二局の世界にいても真の幸福はない、、ここにいかに気づきそこから抜けることに意識がむく時に人は再び全体に戻る準備をします。

二局の世界への諦め

楽しい、苦しい、快適、不快、面白い、つまらない、、、この二局の世界に可能性を感じている限り人間は苦しみからは解放されません。この二局の世界には真の安定は存在せずどこまで行っても不安定です。そうです、この二局の世界にいる限り真の安定、安心、安堵はないことに気づくことこそがこの二局の世界の真の目的です。そしてそれに気付いた生命体「人間」は意識的に全体に戻るという神そのものの行為にたどり着きます。だからこそ人間社会では神という言葉が普通に使われているのです。これは偶然ではありません。

苦しみの本質は真実ではないものを真実と思っていることから生まれる

苦しみとは回答結果

今苦しみがあるならば簡単、それは真実ではないことを信じている証拠です。苦しみとは真実が教えてくれる警報みたいなものです。真実ではないことを真剣に信じたり誤解することから生まれます。逆に言えば真実を理解できたら苦しみは湧いてこないのです。ではその真実は一体なんでしょうか、、真実とはこの個人という概念が概念に過ぎずそれが錯覚であることを見抜くことです。逆に言えばこの個人という存在を強く信じてれば信じるほどに苦しみは湧いてきます。自分を信じる、こんな綺麗な言葉が実は真実ではないのです。

世の中99.99999%の人は実はこの誤解を真剣に信じている

世の中のほとんどの人はこの誤解を完璧に信じています、ですから自分自身が今苦しいんだ、他の人は楽しそうだ。。。そういう孤独感に苛まれているなら安心してください、、、ほぼ全員が苦しんでいます。もしも今楽しいと思っている人がいればそれはその苦しみを上手く回避できているだけです。例えば夢中になれる対象や趣味、人が生まれた時などです。もしくは夢中になれる対象がたまたま続く時なのでしょう。ですがこれはラッキーでしかなく本質的な部分では常に不安を抱えています。なぜならば苦しみの根本原因を知らないからです。

苦しみから逃げるか、苦しみに向き合うか

苦しみから逃げ続けるのもよし、苦しみに立ち向かい苦しみを根本的に解消するのもよしです。私は昔から本質的に部分に入っていくのが好きなので常に戦ってきました、時には苦しみから完全に逃げてきた時期もありました。今は苦しみの本質に常に触れることを楽しんでいます。苦しみは湧いてくる場所、こここそが我々の本質です。本質は我々が誤解をしている期間はいつでも苦しみを湧き出してきます。

ポケモンGO、人間GO

ポケモンGOは絶賛ネタバラシ

ポケモンGO、5年ぐらい前に大ヒットした任天堂のゲームです。スマホ越しにこのアプリを起動しますと、、、一般道、一般通路、私道、部屋の中、建物の中、、、リアルな現実の世界の中に、、モンスターが出現します。そしてそのモンスターをアプリの中で倒すのです。ゲーム業界の革命です。リアルな世界をゲーム化してしました。このリアルな世界のゲーム化、、、これこそが人間様が今絶賛やっていることです。このゲームは人間様が脳内でやっていることをまさかゲームとしてやってしまったのです。

人間GO

人間GOはゲーム内に出てくるキャラ(両親)が、、、あらゆる言語を、、、子供の脳に呼びかけることでインストールさせていきます。これはコップ、これはスプーン、これはおもちゃ、これは犬、これは猫、これは鳥、、、これを延々と行っていきます。これによって脳内に言葉がインストールされていき、、この言葉が、、、見える世界の中にその物体を作り出すのです。全体からそれを切り抜きます。日本語というプログラム言語です。ポケモンGOもエンジニアがモンスターを言語で作り出していきます。人間がやっていることと全く同じことをエンジニアはPC内で行っているのです。

人間GOその2

両親からあらゆる言語をインストールされた子供は生きる世界に名前がついた生物、植物、物体が出現していきます。川を眺めればそこにフナやコイ、金魚が現れ出すのです、それまではただ動く何かがあっただけです。名前を記憶することでそれが子供の世界に現れたのです。クワガタという名前を覚えることでクワガタが世界から切り抜かれ存在を認識します。カブトムシという名前を覚えることでカブトムシが子供の世界に切り抜かれ出現します。あらゆる登場キャラが揃ったところで、、小学校に入学しそこからはプロの先生がこれを引き継ぎます。

人間GOその3

名前を覚えることで子供が生きる世界にあらゆるキャラクターが登場し始めます。そして次にはそのキャラに対する解釈をインストールしていきます。背が高い、低い、太っている、痩せている、性別、年齢、暑い、寒い、、、これが陰陽・二元の世界です。言葉を覚えることでこの世界を解釈の世界にしていきます。そしてその解釈がまたこの見える世界を変化させていくのです。化させていきます。

人間GOその4

この世界にあらゆるキャラが登場しその解釈まで始まった人間はですが自身の言語、思考がこの世界を変えているということには気づきません。なぜならば大人すらも気づいていないからです。ということでこの延長線をひたすらに辿っていきます。マズローの欲求五段階を登っていきます、生存の欲求、所属の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、自己超越欲求、、、動物から人間に進化し、人間独自の進化を繰り返し、最終的には全体に戻るというゲームです。

PCの機能は全部プログラム言語で成り立つ

言語は言語ではない

人間は日常生活で使う言葉を無意識に使います、言語とは仕事やプライベートを円滑に進める道具だと思っています。ですが実際にはそんなモノではありません。言語とはこの世界を構築しているのです、この世界は実はあなたが使っている言語でできています、意味不明ですね。なぜならば、、、もしもあなたが言語を何も知らなかった場合、、、、全くの別世界に住んでいるからです。そんなはずはない、、、同じ人間が見る世界が、、異なるはずはない、、そう思っていますよね、、全然違うのです。実は我々はたった一つのエネルギーを言葉によってモノ化、者化しそれを見ているのです。例えば宇宙人が地球に降り立ち人間を見れば眼鏡は体から特出しているように見え、洋服は体の模様として移ります。そしてスマホは完全に体の一部、、、全く分離していないのです。靴を脱げば、、、足が取れたと驚くはずです。

価値観は、、、

それらの言語、そして自分としての積み重ねが、、、価値観として形成されるわけですが、、、これらは我々が世界を見る際に大きく影響します。例えばBMWを買いたいと思っていると街中にBMWが溢れてきます、ミニクーパーを買いたいと思うと街にミニクーパーが溢れます。ナイキの靴が欲しいと思うとナイキの靴が街で溢れます、、、つまり人間とは意識したモノしか視界には入っていないのです。価値観とはそのままその人の世界なのです。何に注目するかで視界に入る情報が全く変わってしまうのです。言語、そして言語で成り立つ価値観は、PCのプログラム言語と全く同じでPC内の環境を全く違うモノにします。

最後は言語を超える

悟りとはこの言語を超えた場所になります。言語は単純にこの大いなる一つ、まっさらなPC環境を独自の世界に変える力です。言語には半端ない力がありますがその言語を超えた場所こそが悟りです。見ている世界、構築されたシステムが言語、プログラミング言語で設計されていることを見抜くことが重要です。どの言語を選ぶか、どの言語で新しいシステムを構築するかに意識が向かっている間は人生ゲームのデザインに興味があるということです。これは悟りの本質ではありません。

神は人間に化け、モノに化け、自然物に化け、、、

覚者はこの事実に気づいた

悟った覚者が話す言葉には多くの共通点があります。その一つがこの世は幻想であるという言葉、、ですが同時に違う覚者はこうもいいます、これしかない、、、なんのこっちゃです。この世は幻想なのにこれしかない???意味不明です。幻想にも関わらずこれしかないならば何もない、、になります。事実はこうです、、我々人間がみている世界は神が何かに化けた世界なのです、自分に化け、友人に化け、机に化け、コーヒーに化け、お金に化け、、、、全て神の化身ということです。化身ですからそこには実態がなく全て幻想ということですね。ですがその化身であるいう事実を見破った時に、、、ここに神が居るということになります。これしかないです。

絶対絶命の時にこれを見破っている

バンジージャンプをやった人ならわかると思います、、、終わった後に恐ろしい安堵感、歓喜、平和が襲ってくることを、、あれは何か????意味不明ですね、、、なぜバンジー後に平和が襲ってくるのか???バンジー中に思考が完全に抜け落ち、五感全開になり、、、今に強烈にある状態に、、、、それこそが非二元、神、無我です。その残滓が残っているため平和、歓喜、安堵に浸れるのです。だから多くの方はあの感動を求めて何度もバンジージャンプをやりに行くのです。なぜ30メートルも落ちて平和に襲われるのか????意味不明ですよね、意味完璧なのです。

思考が抜けたら平和安堵ならば、、、思考を放置せよ

思考が抜けると、、、平和、安堵、歓喜に襲われるならば、、、思考を放置すればいい、、、思考こそが苦しみの世界、幻想の世界に意識を導く道具ですからそこに乗ってはいけません。何もバンジージャンプをやる必要はないのです。思考が湧いたらそのまま放置です。山に籠もって修行などしなくても日々思考の湧き出しに意識的になり放置すればいいのです。毎日をバンジー後のように生きることができます。そこが無心、無我、非二元の世界の入り口です。

思考って何??化けの世界を作る道具

神は神のままでは何も苦しむことができませんでした、神は神のままでは孤独も喪失感も孤独感も居心地の悪さも感じることができませんでした。そのため神は考えました、この神の中にゲームを作ろうと、ゲームならば孤独、喪失、絶望、不足を経験できると、、そしてその反対の快楽、面白さ、新鮮、友情、親しみも経験できる、、こんな素晴らしいゲームを作ろう、、、そのために思考を利用しました。人間の脳をさらに進化させてし思考を作り出し、、先ずは人間に「自分」というアイデアを授けました、、これによって自分がこの神の世界に誕生したのです。さらにこの延長線上であらゆる現象に名前をつけてそれを個別分離した存在に作り上げていきました。神の分裂現象です。これによって「自分」は神の中を歩いて歩んでいくという体験を積むことができるようになったのです。

簡単に終わってしまっては困る

せっかく作り出したゲームですから簡単に終わってしまっては困ります。そのため自分には次々に思考が湧いてくるように設定しこの自分を維持していく工夫がされています。何かを「自分」が経験したら思考が湧く、その思考に取り込まれるとさらに苦しくなりさらに思考が湧くのループです。「自分」というのは基本苦しい存在なのでその苦しみの解消を思考でやってもらうという無限地獄を作り出したのです。これで神が考え出した「自分」は生きて死ぬまであらゆる経験を積むことができます。放置しても勝手にあらゆる経験を積んでくれるのです。神の完全自動人間自分体験です。

このシステムはさすがにどこかで気づかれる

人間として最初にこのシステムに気づいたのがゴーダマシッダルータです、彼はインドのある地域の王様で贅沢三昧な生活をしていました、にも関わらずなぜこれほど満たされないのか???頭の良い彼はそこから悟りの世界に入っていきました、そしてそこで悟りを開いたのです。彼が気づいた事実とはまさに上記のこと、人間とは苦しみのメカニズムから抜けない限り苦しみが永続するというモノです。人生とは苦である、です。ヨーロッパ地方でこれに気づいたのがイエス・キリストです。彼は人間は原罪と称しました、この罪という言葉は勘違いを意味しています。

ギャンブルしている時だけは思考が落ちる

ギャンブル狂は思考から逃げたいだけ

ギャンブル中毒、、、今話題のYOUTUBERガーシーは自身をギャンブル中毒と認めています。あれだけ頭の回転が良い人がなぜギャンブル中毒になってしまうのか???ギャンブルをすればお金が無くなる、、、これは中学生でも理解できる。あれだけ頭が良い人がなぜギャンブル中毒になるのかという話です。結論から言えば思考の回転が速いからギャンブル中毒になったということです。彼の会話のテンポから誰でも分かると思いますが思考の回転が異常に早い、、、もしも日常生活であれほどまでに思考に取り込まれてしまっていたらどうなるか???死にたくなるほど苦しいはずです。思考に取り込まれた状態は今から離れます、今とは全体、ワンネス、大いなる存在の場所、、、ここから徹底的に離れます、、、、そこは非常に居心地の悪い場所です。それを回避してくれる救いの神こそがギャンブルです。ギャンブルは頭を使います、五感をフル回転にします。空気を読みます、、、、これらは実は今に居ることを可能にします。その瞬間思考のループが外れます。居心地の悪さが解消されます。

カイジで読み解く

ギャンブル漫画のカイジ、、、カイジは絶対絶命のピンチの際に、、ギャンブル相手の顔色、雰囲気、空気、言葉、、に全集中していきます。五感をフルスロットルさせていきます。体をフル回転しています。この瞬間今にあるのです、、、思考からの乗っ取りを回避しています。体に全集中している状態は、、、思考の乗っ取りが消え失せていて安堵、歓喜、平和に襲われているのです。五感をフル回転にさせなくてはならないスポーツ、ギャンブル、仕事、恋愛、、、全てはこのパターンです。

思考を放置せよ

ガーシーはあれだけ思考の回転数が早い人、あの状態を日常生活でやれば恐らく死にたくなるほど居心地が悪いはずです。解決方法はギャンブルではないのです、思考を放置する、これだけです。思考が湧いてきても気にしない、放置のみ。そこから思考のループに入らなければいいのです。頭の回転に自信がある人は思考を信用しています、思考を無視できない、、、結果思考に飲み込まれて、、、苦しみの世界に入り込んでいきます。