人類は進化の後退ではない

苦しめるというとこまで進化がきた

自分という存在、私という存在、、これらは錯覚ではありますがこの感覚を持てたのは生命の進化です。この私は苦しみ、居心地の悪さを感じ、違和感を感じる苦しい存在ではありますが、、だからこそ全体を再体験するというとんでもない経験をすることができる資格を持っています。これを体験できる植物は存在しません。人間だけが苦しみの先に全体への再統合というビッグプロジェクトを抱えることができるのです。このプロジェクトの最重要事項は個人としての苦しみです。

苦しい、楽しいを超えて

二元のストーリーの中での苦しい、楽しい、、は全部夢の中での一瞬の体験です、楽しいと思っていたら苦しいに変わり、、また楽しいに変わる、、、この安定しない状況こそが「苦しみ」です。だから人間は無理くり安定を作り出すために知恵を集め終身雇用などの制度を作り出したりします、ですがこれが人間の不安感を完全に払拭することなど不可能です。人間がこの夢の中で作り出した制度が人間を幸福にできないことは明らかです。この楽しい、苦しい、面白い、つまらない、、、の二局の世界にいても真の幸福はない、、ここにいかに気づきそこから抜けることに意識がむく時に人は再び全体に戻る準備をします。

二局の世界への諦め

楽しい、苦しい、快適、不快、面白い、つまらない、、、この二局の世界に可能性を感じている限り人間は苦しみからは解放されません。この二局の世界には真の安定は存在せずどこまで行っても不安定です。そうです、この二局の世界にいる限り真の安定、安心、安堵はないことに気づくことこそがこの二局の世界の真の目的です。そしてそれに気付いた生命体「人間」は意識的に全体に戻るという神そのものの行為にたどり着きます。だからこそ人間社会では神という言葉が普通に使われているのです。これは偶然ではありません。

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