意識

断食の極意

人にあった断食を行う

ファスティング、断食は危険であるような情報が出回っていますが危険であるはずがないのです。野生動物は調子が悪い時は食べ物を食べずに回復を待ちます。もしも今あなたが雑念も含めて調子が悪いならば断食をすればいいのです。夕食だけを食べる、朝だけを抜く、、週に二日は完全断食にする、、その方にあった断食で十分です。もしも本当に慢性病などがあるようでしたら断食を始めますと逆に食欲が全くなくなります、その症状が消え去るまで食欲が起きないのです。ですが実際には固定観念があり固定観念が食欲を作り出してそこまでスムーズにはいかないでしょう。

呼吸が自然と深くなる

断食を続けていきますと、、自然と声が大きくなっていきます。腹の底から声が出るのです、話をしているだけでお腹が響くのです。横隔膜が脂肪によって邪魔されずスムーズに動くのでしょう、、声が腹の奥から出ていくようになります。呼吸も必然的に深くなっていきます。呼吸法を実践する際にも深く深く息が入っていくためスムーズです。意識が明晰になり、、、小さな悟り状態に入っていきます。

思考に向かうエネルギーを断つ

断食の素晴らしい点は毎秒毎秒ごとに思考がクリアーになっていくことです、、無駄な思考が毎秒ごとに減っていくのです。それは当然、思考に使うエネルギーを根本から絶っているからです。体は体脂肪をエネルギーに変えてこれを消化していくわけですがこのエネルギーが雑念に奪われてしまったらたまったもんじゃないのです。ということで思考が消える体験を経験できるのです。思考が消えるといかに楽かを既に体現できるのです。この状態で呼吸法を実践しますと成果が圧倒的に早くなります。

ブッダを見かけたら殺せ

有名な言葉

道でブッダを見つけたら殺せ、、、有名な禅の言葉?でしょうか。。この意味実は深いです。この世界の全現象は空の現れです、意識の現れ、、、幻想です。この世界でブッダやキリスト、覚者と呼ばれる人々は居ますが、、彼らは何を見つけたのでしょうか????彼らはこの体は自分ではなく、、この体を認識する存在、意識こそが自身だったと気づいたのです。つまりこの体も現象の一部であり、思考も現象、名前も現象、、、全現象の一部でしかなくゆえにこの体についた名前は暗号、記号でしかない気づきを得たのです。だからブッダと道で会ったとしてもそれも現象でしかないという意味です。

現象は軽薄という意味ではない

全部が全部現象だからだから価値なんてないんでよ!!!であるならば悟りとは何の価値もないものになるでしょう、、そんなことを目標に悟りを目指すのは馬鹿げています。実際にはこの幻想は恐ろしいほどの輝きを持ち、綺麗で神々しいのです。音も、味も、手触りも、、全部が神々しいわけです。この幻に価値がないなどは全くありません。ただしその価値は「私」にとってじゃないんです、価値そのものなわけです。

思考も感情も軽薄ではない

悟りにおいてのラスボス、、雑念、、、この雑念も軽薄という意味ではないんです。思考は全部この空のアートであり、、アートしか存在しないのです。ですがこのアートはイメージ化した瞬間に苦しみにかわるため、、危険なアートなのです。現代人はこの危険なアート言葉を、、全くもって慎重に扱っておらずゆえに「人生は苦」と称されてしまうわけです。

呼吸法と断食

釈迦は山に篭って悟りを開いたと言われていますが、、、山に籠もれば、、必然的に粗食、断食状態になります。この時余分な栄養が思考に回されないがために我々の本質「意識」が思考から外れる可能性が高くなります。さらに瞑想に入ることで「意識」が「意識」そのものに「意識」が向き「分かった!!!」が起こるのです。釈迦が呼吸法を用いていたかは分かりませんが瞑想という意識そのものの状態に至ったのは間違いありません。

現象の正体

空の影

我々が今見ている現象って何で出来ているんでしょうか?????空です、絶対です、不変の自己です。。。いやいや不変の自己でできているならば、、、変化しちゃおかしいですよね?????そうです、、不変の自己の影なんです、、、影だから変化していいんです、、嘘だから変化していいんです、、、、でも影だとしたらそれはどこで影として存在しているんですか?????不変の自己の内部です。不変の自己は全部だから当然影も不変の自己の内部に存在するんです、影として。もしもこの現象が実在ならば不変の自己も変化してしまい、、それでは不変の自己は不変の自己ではなくなってしまうんです、、だからこの現象は100%影なんです、実在しないんです。

実在しないから変化できる

この現象(色)が実在ならば、、、これを作り出した空(絶対、不変の自己)は不変ではなくなってしまいます。。だからこの現象は幻想、影、反映、なのです、、しかも100%。その証拠に我々はこの現象の中で経験しかさせてもらっていません。景色を感じる、味を感じる、、音を感じる、、、、全部経験だけです。。。それを経験した実在がまったくどこを探しても存在しないのです。この体は実在でしょ?????いやいや、、、どこまでいっても実在しているように感じているだけです。

影(体)を調べると影が出る

いやいやこの体は、、、、切れば中から血が流れていますよ、、、それが影です、、、その血を顕微鏡で調べれば中には赤血球が、、、それが影です、、、その赤血球を調べると中には細胞が、、、、それが影です、、、影だからエンドレスに影を量産できるのです、、、影だからです。もっと調べようと「意識」するから「意識」が現象化したのです。

理屈ではいくらでも証明できるが

このように我々の本質は調べれば簡単に見つけることができます。。ですがこのことを頭の中で理解するだけではダメなんです、、、、それでは空、絶対、不変の自己を体感できないわけです。影(体)がどんなに影のメカニズムを理解してもそれはやはり概念、思考、イメージなんです。。。。これ(空、絶対、不変の自己)は概念、思考、イメージが抜け落ちた時に、、、感じるものです。そこで私は呼吸法や断食を勧めています。

夢の中の映像って何でできている????

毎晩の夢

毎晩見る夢の中の映像って何で出来ているんでしょうか?????物理的には脳内映像ということにはなりますよね????ですがそれは幻想の話です。本当は何で出来ているんでしょうか????意識ですね、、意識が現象化し、その現象化した意識を意識が意識しているんです。「意識」ばかりが三回も並びます、、現象化した意識を意識が意識しているんです。ですから全部自作自演です。

この現実と呼ばれる世界

この現実と呼ばれる世界も、、、意識が現象化したものです。この現象化された「意識」を、、、今「意識」が「意識」しているんです。意味不明ですよね???三人の登場人物が出てきますが全員同じという意味不明な現象が起こっています。ですがこれが真実なんです。我々は常に「意識」が現象化した「意識」を「意識」が「意識」しているのです。つまりこの世界には「意識」しかないのです。

「意識」を生み出した存在

ではその意識はどこから起こったのでしょうか????意識とは、、、絶対、唯一の存在、不変の自己から生み出された反映、投影、リフレクション、影、、、の中で起こっているのです。つまり絶対的存在の影が絶対的存在の中で起こり、、その影を見た影の一部が、、「意識」です。影が影を意識しているのです。だから我々の本質は空、絶対、不変の自己と呼ばれるのです。

「意識」を「意識」に戻す呼吸法

我々は今「意識」が意識が生み出した現象の一部(思考)に完全意識集中している状態です。この状態は同時に苦しみを生み出します。呼吸法によって現象の一部(思考)への意識集中を、脱却し、、、「意識」を全方位に意識する「意識」に戻します。

開放性の中で

閉鎖性がイメージ化される

ここは開放性の場所です、解放しかありません、解放しかない中で閉鎖(個人)というイメージだけが起こります。解放しかないのですから閉鎖(個人)はイメージです、思考が作り出したイメージです、思考は開放性の表現の一つでしかなく、、完全なる開放性の中でまさに開放性の一部である思考が作り出した閉鎖(個人)というイメージのみがいつも起こっているのです。

閉鎖(個人)の動き

完全なる開放性の中で閉鎖(個人)というイメージが起こり、その閉鎖(個人)が動くというやはりイメージが起こります。閉鎖活動は開放性の中でしか起こり得ないのですから、、この閉鎖(個人)活動は緊張を伴うのです。一瞬でもこの緊張を解けば瞬時に開放性に飲み込まれていきます。ここは開放性の表現の場であり、、その表現の一つに思考活動があり、その思考活動は閉鎖性というアートを作ったのです。しかしそれでも開放性の中で起こっているという事実は変わりません。

覚者は言う

覚者は言います、、あなたは一度もこの真理から外れたことなどない、、と。まさにその通りです。我々はこの真理、開放性、解放の中でしか存在しえないアートです、、その表現が閉鎖性を彩っているのです。その彩りが苦しみというやはりアートを生み出し、、、その苦しみから逃れようという閉鎖性の動きがおこるのですがこれもやはり開放性のアートです。どこまでいっても開放性しか存在しえないのですから、、、ここは癒しの場なのです。

閉鎖(個人)というイメージを終わらせる呼吸

もしも閉鎖性(個人)というアート活動をもう終わらせよう!!という気持ちが起こっているならば、、苦しみはもう結構という気持ちが起こっているならば、、、私は呼吸法をお勧めします。今まさに我々の本質である「意識」が閉鎖性(個人)という概念に意識しています。これは概念、思考ですから、、意識をそこではなくそこ以外に意識させれば閉鎖性(個人)は終わるのです。それが呼吸です、、意識を呼吸に常に意識させることで、、閉鎖性を維持できなくなります。閉鎖性(個人)を維持できなくなれば、、そこには開放性しか残りません。

もう悩まなくていい

雑念が湧く湧かないかだけ

人生最大の試練が降りかかってきました、、、ですが雑念が全く湧いてきません。これって苦しいでしょうか?????全く苦しくないんです、全くです。実家の借金1億円が突然降りかかってきました、、ですが雑念が全く湧いてきません、、、、全く苦しくないんです。。。。つまり降りかかるトラブルが雑念を引き起こして苦しいのであって雑念が湧いてこなければ苦しみはゼロなのです。

最強戦略

じゃあ最初から雑念が湧かない体にしてしまったらもう苦しみは起きないですよね????その通りです。まさにその通りです。雑念が湧かない体を作る!!!と決めてしまうことです、これは悟ると決めてしまうことと同意です。エックハルトは思考を観察せよ!!と勧めました、、、要は皆同じ所に落ち着くのです。思考を観察することで結果的に雑念の量を減らしていき、、さらに意識そのものに帰ることを意味します。

ファスティングと呼吸法

最初から雑念が湧かない体にしてしまう、、ではそのためにはどうしたらいいのでしょうか?????私は呼吸法とファスティングをお勧めします。どちらも思考に向かうエネルギーを根本から断つというメソッドです。呼吸法では呼吸に意識を意識させることで、、思考に向かっていた意識を壊します。ファスティングでは過剰な栄養エネルギーを絶ってしまうことで思考、雑念の餌の供給を潰します。

雑念体質を終わらせる

何をしても雑念が湧くならば何をしても苦しい、、となるでしょう。。。逆に言えば何をしても雑念が湧かないのならば何をしても苦しくない、、幸福であるということになります。つまり重要なことは雑念の有無であり、、起こる出来事はなんでも良いのです。

ファスティングは有効

過剰エネルギーを断つ

現代人の多くは食べ過ぎです、、ストレス発散を食で行ってるためどうしても食べ過ぎ状態に陥ります。世の中のダイエットブームが全く終わらないのはこのためです。この余剰エネルギーはどこに向かうか?????思考です、雑念です、雑念の餌にされるのです。雑念がストレスを作り出しストレスが過食を促す、その余剰エネルギーがまた雑念に使われるというメカニズムです。この仕組みを断ちます、この負のスパイラルを断ちます、、どうやって??????断食、ファスティングです。

16時間断食

初心者の方はこれだけでも十分に効果があります。1日16時間断食します、前の日の夕食から16時間後に食べ始めるのです。要は食事の合間に16時間空けるタイミングを作るのです。そして残りの8時間は何回食事をしても構いません。重要なことは物を全く体に入れない時間を作るのです。

胃腸が適正な大きさに戻る

食事を我慢するのが目的ではなく、、、過食によって大きくなってしまった胃腸を元に戻していきます。胃腸が小さくなれば、、過食に走りにくくなるわけです。そして食事を開けている期間は雑念が起きにくいためにストレスも減るのです。こうして上記の負のスパイラルを断ちます。

断食と呼吸法

断食と呼吸法、、、、これらが悟り、覚醒、解放に有効な理由は結局のところ、、雑念が起きにくくなるからです。断食では思考の餌になるエネルギーを断ち、呼吸法では意識を思考から呼吸に意識させます。思考に行くエネルギーを断つという意味では同じことでしょう。つまりこの二つは同時並行して行うことで効果が増すのです。

ラスボス雑念

雑念がラスボスだった

悟りって結局のところ雑念が消えれば悟りなんです、だっていかに全てを構造的に理解しても雑念が半端なければその度に苦しいんです、雑念てイメージを起こしますからもうこの苦しみを止めることは不可能です。雑念は気づかれた瞬間イメージ化、ビジュアル化、イリュージョン化されて緊張感を作り出すんです、これが苦しみと言われます。

雑念OSを殺す

雑念を起こすにはパワーが必要です、雑念を維持するってパワー勝負です。ですから他に「意識」を「意識」させればそれで勝ちなんです。ところがこの思考システムは体の保持最強OSとして君臨していますから、、そう簡単にこのOSを落とすなど体がやってくれるわけがないんです(夢の想定)ですから自我OS、雑念OSを落とすには電力供給を完全に遮断する必要があり、、そのためにどうするか????が何千年間も試行錯誤されてきたわけです。

真実を突きつける

悟り本などの役割は、、真実そのものを突きつけて、、、雑念を終わらせることが狙いですが、、ところがその本を理解する相手が、、思考ですから、、、これは非常に難しいわけです。思考が湧かなくなったら悟りであるということを言葉で伝えるというのは矛盾を含んでいます。そして意識は思考に意識を向けないというトレーニングを積んだことがないので意識は引き続き「思考」に意識してしまうのです。「で????どうする???」です。

呼吸に意識を意識させる

我々の本質は「意識」ですからその意識をどこに意識させるかを実は決めることができます。決めれる「自分」は居ないんですがここではそこを省きます。意識を呼吸にしっかりと向け続けますと30分ぐらいで視界がパッと明るくなります。これを何度も繰り返します。視界が明るくなる、音がハッキリと聞こえる、、これは実は悟りのサインです。これを何度も何度も行っていきますと朝起きた瞬間からこの状態に入ります。

これは違う

何かが違う

何か違う気がするんですよね、この会社、このパートナー、この収入、この家、この家族、この環境、、、とにかく違和感を感じるんです。人間はこうやっていつも違和感を感じ続けて生きていくのです。ではこの違和感はどこから起こっているのでしょうか????簡単です、、違和感とはこの「私」が居て私にとって完璧な環境ではないという思考、感情から起こるのです。ですが残念ながらその「私」は思考であり実在しないのです。つまりこの違和感はファンタジーが生み出したものです。

違和感というファンタジー

この私が居るという思考が生み出したイメージ、ファンタジー、イリュージョンこそが、、違和感を作り出したのです。この違和感が悪ということではなくイメージが作り出した代物であるというのが真実です。究極のリアリティ、今ここでは違和感は起きえないのです。もしも今違和感が生じるとすれば、、「私が居る」という思考が生み出したファンタジーです。

真実に違和感は生じ得ない

真実の世界に違和感って生じるわけがないんです、、もしも生じるとすれば、、、思考が作り出したイメージ、ファンタジーの中でしかこの感情は起き得ないのです。そういう意味では違和感も究極のリアリティの一部です。ですがこの違和感は思考なしでは生じ得ないので、、その真実を理解する必要があります。違和感とは思考が作り出した副次的産物なのです。

呼吸法

違和感は思考が生み出した二次的産物ですから、、、この思考が湧いてこなければ違和感は湧かないということになります。ではこの思考をどうしたら生み出さないように出来るのか????呼吸法です、、呼吸で思考にベッタリとくっついてしまった意識を削ぎ落とすのです。我々の本質である「意識」は思考にへばりつくことで違和感を作り出します、このメカニズムを壊します。意識を呼吸に意識することで思考から剥ぎ落とし意識そのものに還元させます。意識が意識そのものに還元した時真の安らぎが戻ってきます。

悲惨なニュース

それもこれ

悲惨なニュースってあります、、災害、大飢饉、大寒波、台風、ハリケーン、戦争、、、、あげればキリがないですよね。その全てはこれが作り出しています、非二元が二元として作り出します、、、その操作に個人は全くもって非関与です、個人はこの全現象に影響を与えることはできないのです。ピカソが描く台風、暴雨、飢饉、これらは感動的に美しいはずです。ではこの悲惨とされる現象は本当は美しいはずなのです。ところがそうでないのは「個人が居る」という雑念がそう見せているだけです。

全部が全部美しい

本当は全部が全部美しいのです、雷雨も完璧に美しいのです、、、にも関わらずそう見えないのならば、、、それは雑念がそうさせているのです。ですから重要なことは、、、この雑念を消し去ることで、、、全現象が、目の前の全現象が美しくみえないのは雑念のせいです。激しい雨も、激しい雪も、激しい風も、、、全部が全部本当は光り輝いています。

雑念を落とす

雑念がなぜ「起こる」かと言えば、、真実とは違う勘違いが起こっているからです。この私が居てこの人生を切り開くという勘違い、、、自由意思があって完全なコントロールで環境を支配できるという勘違い、、、これらが雑念の嵐を巻き起こすのです。この嵐こそが目の前の現象を曇って見せる原因です。

雑念の強制終了

真理を知れば雑念を落とすキッカケにはなります。ですがそれだけでは難しいでしょう。それはなぜか????我々の本質である「意識」は「思考」とベッタリくっついて、、、硬直状態になっているからです。これではエンドレスに雑念が湧くわけです、、、これを打破するには、、、思考に向いた意識を思考以外に向かせる必要があります。そこで重要になるのが呼吸法です、、呼吸に意識を意識させることで、、、思考にへばりついた意識を剥がせるのです。雑念が湧いてこない状況になるますと全現象が美しく見えます。