ラスボス雑念

雑念がラスボスだった

悟りって結局のところ雑念が消えれば悟りなんです、だっていかに全てを構造的に理解しても雑念が半端なければその度に苦しいんです、雑念てイメージを起こしますからもうこの苦しみを止めることは不可能です。雑念は気づかれた瞬間イメージ化、ビジュアル化、イリュージョン化されて緊張感を作り出すんです、これが苦しみと言われます。

雑念OSを殺す

雑念を起こすにはパワーが必要です、雑念を維持するってパワー勝負です。ですから他に「意識」を「意識」させればそれで勝ちなんです。ところがこの思考システムは体の保持最強OSとして君臨していますから、、そう簡単にこのOSを落とすなど体がやってくれるわけがないんです(夢の想定)ですから自我OS、雑念OSを落とすには電力供給を完全に遮断する必要があり、、そのためにどうするか????が何千年間も試行錯誤されてきたわけです。

真実を突きつける

悟り本などの役割は、、真実そのものを突きつけて、、、雑念を終わらせることが狙いですが、、ところがその本を理解する相手が、、思考ですから、、、これは非常に難しいわけです。思考が湧かなくなったら悟りであるということを言葉で伝えるというのは矛盾を含んでいます。そして意識は思考に意識を向けないというトレーニングを積んだことがないので意識は引き続き「思考」に意識してしまうのです。「で????どうする???」です。

呼吸に意識を意識させる

我々の本質は「意識」ですからその意識をどこに意識させるかを実は決めることができます。決めれる「自分」は居ないんですがここではそこを省きます。意識を呼吸にしっかりと向け続けますと30分ぐらいで視界がパッと明るくなります。これを何度も繰り返します。視界が明るくなる、音がハッキリと聞こえる、、これは実は悟りのサインです。これを何度も何度も行っていきますと朝起きた瞬間からこの状態に入ります。

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