自我

なめんなよ

存在しない自我のために、、、

我々は存在しない存在「自我」のために、、、完全に振り回されていきてきました、、、存命していると信じて戦ってきた戦士が、、実は何年も前に王様は死んでいた、、と聞かされた状態、、、許せない、、、となります。ですがこの自我は当初は体を両親から守るために形成されました、、両親から嫌われてしまったら死んでしまう、、、そこで両親に合わせたキャラを作り上げるのです。。。。これが自我の正体。

これが本気になった

両親に好かれるために勝手に形成された自我、、、、この自我が実在すると本当に思い込み、、、この自我を永続させようとする動きが起こる、、、、なんという不運、なんという悲劇、、、、だからこそどこかでこの自我を成仏させなくてはなりません。本当は居ないのですから。死んだら成仏する、、とんでもない、、、、生きているうちにこの自我は成仏させるのです。

自我形成を完璧に理解する

自我というのがなぜ形成されたか、、、ここを徹底的に理解します。両親に好かれるために勝手に形成された自我、、、この自我を手放すには、、、体がそれを許可する必要があります、、、体がこの自我を作ったわけですから、、体がこれを手放せる状態にしなくてはなりません、、、つまり極度の緊張で自我を手放すのは不可能です、、、緩めて緩めて、、、体が、、もう自我は必要ない、、、そう感じるまで体を緩めていきます。

攻めの急所

自我の消滅

ワンネス、大いなる一つ、ブラフマン、アートマン、真我、神、、、なんでもいいのですが、、これらの言葉についてどれほど詳しくなろうと、、どれほど理論的に理解しようと、、、悟りに至らないのは、、、個人が居るというこの感覚をどうしても手放せないからです。。。。理屈としては分かるんです、、、ですが、、ハッキリとこの個人という意識を所有している、、、、、そこを抜け出せない

それは無理だろ

この体というのはあまりにも巧妙にできていて、、、この体の中に「自分が居る」と思い込めてしまう仕掛けが盛り沢山、、これが盛り沢山すぎて全人類が騙されるのです、、、、経験を積めばあらゆる思考、感想が勝手に湧いてきます、、、この店は嫌な店だな、、店長は愛想が悪いな、上司は今日は機嫌が良いな、、、、とこの間違いのない思考が、、、、この「私」を絶対的なものにしていきます。思考が湧くのは疑いようもない、、だからこの「私」も疑いようがないのです。

勝手に湧く

ということで悟りの攻めの急所、、、、「思考は勝手に湧く」ここです、、、これだけです、、、ここが腹落ちするとドミノが倒れ始めます。。。思考が勝手に自動的に湧いていることを認める、気づくと、、、もう自分が信用できなくなります、、、おい、何もしていないぞ!!!です、、自分とは何もしていない、、、既得権益、、、何もしていないのにお金を全部持っていく既得権益、、それはこの自分、自我、私の正体です。

既得権益を滅ぼす

実は何もしていない、、この私が、、、最高権力者にのさばっているのがこの自分という存在、、こんな存在を許容して、、幸福になるわけがない、、、ありえない、、、全く存在していない存在を勝手に作り上げ、、これありきの思考がガンガン湧き、それに右往左往する生活、、、ありえない、、、冗談じゃない。。。ということで、、、ここが悟りを開くための絶対的急所です。

自分が今に居れない理由

自分は記憶が作り出した思考だから

記憶が作り出した思考が「私」。なんともこの「私」は手間がかかった存在です、、なかなかに面倒な作業をしてこの私は今に存在しています、、、というよりも存在できないのでは???今には。なぜならば手間がかかり過ぎている、、、時間が必要ですよね、、記憶が立ち上がり、記憶から私が立ち上がる、、非常に面倒な作業が起こっている、、、どっちにしても思考ですね、、、ですからどちらにしても「私」という実在が、、、この現象界に降り立ったことはないのです、、、空想、妄想、アイデアとしての「私」が浮かび上がっただけです。

私を確認するには、、、

私を確認するには記憶を、、、探るしか方法がない、、、あの時私はこれをした、、、という思考を起こすしかない、、今。これ以外に私を発見できる方法はないのです。私とは本当は一瞬たりとも、、この現実に降り立ったことがない、、ゆえに過去を振り返って私は実在していたという夢を見ているのです。つまり時間がなければ私は実在しないことと同じです、、、だからこそ過去はないんですよ!と伝えると混乱します。「私」は過去にしか居たことがないからです、夢の中で。

自分が居なくなれば、、、

自分という存在は消え失せれば、、、過去も同時に消え失せます、、、過去が必要なくなるからです。。。過去とはこの自分を証明するものだったのです、、、過去を振り返ってみて「私がこの思考を起こした」と信じているのです。事実はただ思考が起こり、行動が起こっただけ、、、この体を通じて。過去は幻想なんです!!なんて言わなくたって、、自分が居なくなれば、、過去は勝手に消えます。すると未来も勝手に消えます。すると将来不安も勝手に消え、過去の悔やみを勝手に消えます。

個人が消え失せ、、

個人が消え失せますと、、相手も消え失せ、、自我の全てあが消え失せ、、生命のみが残ります、、、この生命に気づきているのは誰だ???が起こり、、、、それは生命を起こす存在なのでは???が起きます。。突然、、たった一つ、、空、絶対の存在に気づきます。空があって色があって、、、空と色は一つだ!!が起きます。

夢の中の会話

昨日みた夢の中で

あなたが昨日みた夢の中で、、、何人かの登場人物が現れたとしましょう、、、例えば中の良い友人三人組、、、この三人での居酒屋での会話の内容の全て、、、誰が考えているのでしょうか???瞬時に起こる会話の全て、、全くもって詰まることがない三人の会話の掛け合い、、これは考えてやっているでしょうか???あなたは全く考えず、、、ただの観賞者となってこの会話を聞いているはずです。なぜこんなことが可能なのか????一人で三役をやっています、、こんなことなぜできるのか????

会話など何も考えずにできる

会話など何も考えずにできるんです、、完全に湧いてきたことを話しているだけなのです、、1秒でも考えず、、ただ湧いてくるから成り立つのです、、、「私」など全く介在せず、、、湧くがままに口から出ています、、、これが真実です、、、夢の中では一人で三役を演じ、、会話を作り上げるわけです、、、こんなこと考えながらやれるわけがないのです。

自我など存在していない

つまり会話を考える自我、、思考を統率する自我など全く存在していないのです。。。全く存在していないにも関わらず、、、存在していることにして会話をしています、、、そして「あの人は面白い」となります、、ですがその人=自我ではなく、、、その人を通じてその会話が起きただけなのです。。。三人組で会話をしても、、、それを考える「人」「自我」「自分」「私」は一切存在せず、、、ただ会話が起こったのです。

自我が吹き飛ぶ

自我が吹き飛びます、、するとそこに何が残るか????誰もいない、、誰もかもが消える、、、ただ全体だけが残る、、、全体しかないのですから全体という「名前」すらも必要ない、、、、ただ「在るがまま」の状態、、、そこには時間も消えます、、、、そして在るがままに気づくが起こる、、、これは誰が気づいているのか????音でも光でも物でもない存在が先ずあって『空』、、、この投影(現象の全て)が在り、、気づきが起きます。

迸る情熱

情熱はこの体には無い

情熱はこの体には存在しません、、、情熱は、、存在そのものから湧き上がります、、、情熱は自我防衛システムとは全く関係のないところから生まれます。。。情熱とは、、、自我防御システムが起動していない時間かもしくは自我防御システムを俯瞰している時間、、、その時間に起きます、、、時間、、、とはこの自我防御システムが起動している状態のことであり、、、これが起動していない状態は、、時間から実は抜けます。自我防御ソステムを俯瞰すると、、、時間から抜け出し、、、そこに情熱が在るのです。

自我を形成するOS

自我とは記憶をベースに作られた、、プログラムです、自我というプログラム、、そして自我が在るという前提で起こった経験の全てが記憶されたデータが存在し、、この二つがリンクされることで、、思考、感情、行動が常に湧き上がってきます。この動きの中には情熱はありません、、ただのプログラムの起動に過ぎないのです。このプログラムの起動時間は基本苦しいので、、人は、、、、癒しを求めるわけです、、それが温泉だったりパチンコだったり読書だったり、TVだったりです。感じるというのは自我防御システムにはできないので、、その瞬間、この起動を安ませれるのです。

自我防御システムを起動させない

自我防御システムはこの体を守るために形成されました、、ですから、、この体を守る必要性が起これば、、このシステムは必要なくなります、、、ならば、、、さらに優秀なプログラムを作り直すことで、、ここから脱却できます。ではそのプリグラムとは???その偉大なプログラムとは何でしょう??それが、、、宇宙というプログラムです、、この宇宙全体を引き起こすプログラムに同期してしまえば、、いいのです。神というプログラムでもいいでしょう。。。これが起これば、、自我というプログラムは消えます。

真我というプログラム

自我というプログラムから真我というプログラムに同期させるには、、真我というプログラムを理解しなければなりません、、そのために我々は真我を学んでいます、、今このブログもそのために書かれています、、ヨガは体を感じて、、真我を感じ、、真我そのものが感じ、、自我から真我への自動シフトを起こすメソッドです。瞑想も思考を感じ、真我を感じ、、真我が感じ、、自我から真我への自動シフトを起こすメソッドです。

光は光に気づかない

今目の前の光

今目の前には視界が広がっているわけですが、、、真っ暗ではないのはなぜか???それは光があるからです、、、その光をなぜ気づくことができるかと言えば我々の本質は光ではない存在だからです、、、そしてなぜ音に気づくことができるかと言えば、、、我々の本質が静寂そのものだからです。非光、非音、、、これが我々の本質です。。。この非光、非音である存在が、、、常にここにあるこによって、、、今この現象の全てを気づくことができています。

その中に

その中に、、、この体が現れ、脳が現れ、、脳の中に自我というプログラムが現れ、、、自我を通して起きた経験の全ての記憶を受け取るセンサーが現れ、、、記憶を元に形成された観念を反映した世界がこの究極のREALITYの上に重なってそう見えるようになります。そしてその全てをこの存在が気づくのです。そしてこの自我をベースにした私物語がこの究極のREALITYの上に重なった世界を生きるという夢を作ります。

そこまで分かると

ここまで分かってきますと、、、体だは自我を手放す準備を始めます、、自我の必要性を感じなくなっていきます、、自我とはこの体を守るための救済シシテム、防御システムですから、、、体がもう必要ないことを悟れば、、自我を手放す、、自我というプログラムを削除することが可能になるのです。そのためにはこの自我のプログラムを完璧に理解する必要があります。。その方法が瞑想、ヨガ、悟り本、マントラ、禅、各種宗教ということになります。

思考が騒いでも

思考が騒いでも、、全く気にならない、、感情が騒いでも気にならない、、行動が騒いでも気にならない、、、全部自我をベースにした自動システムが起動しただけ、、、この自我防衛システムはこの体を守るために、勝手に起動し、勝手に休みます、、我々の本質は全てに気づく、、存在そのものですから、、、常にそれを気づきていきます、、、

あっさり自我を否定すれば

相手の反撃にあう

悟りという分野に対して多くの方が拒絶反応が湧くのはもう当たり前で、、これはこの体の最重要防衛システムの破壊だからです、、最重要防衛システムはこの体を両親から守るために構築されたものであり、、これを簡単に捨てるのは自殺に近い行為です。。だからこそ、、悟りとは、、、どこか遠くの準備ができた人間だけが近寄る分野だったのです。そこを簡単にカジュアルに発信すれば、、あらゆる自我防衛システムの反撃に合います。

自我の必要性から迫る

自我の必要性から迫っていくのが正しいやり方かもしれません、安全なやり方なのかもしれません、、、自我という体の最重要防御システムを完全に理解し、、その上で自我というこのシステムを俯瞰していく、、すると、、自我という防御システムの作用が分かり、、、それを俯瞰する本当の自分、真我が現れるという流れです。

殺されないために自我は生まれた

だから難しい

自我とは両親から殺されないために形成されたプログラムです、、ですからこれを除去しようとすれば、、恐れの感情がとんでもなく湧くのは当たり前のことです。もしも無人島で生まれ勝手に育ったのならば自我など形成されていません。つまり自我は後天的にこの体を守るために蓄積されてきたプログラムなのです。ですから自我の終焉を悟りでは願うわけですがこれはそう簡単にはいかないに決まっています。

自我形成を俯瞰する

自我形成とは両親から見捨てられないように作られたプログラムです、、ですからこのプログラムの削除は徹底的な抵抗に合います、、アラームが鳴りまくるわけです、、、そんなことをしたら体が滅びるぞと、、、そんなメッセージを体が受け入れるわけがありません。自我とは体を守るためのシステムですし、本を読むのも自我がやっているという前提で起きているからです。そしてその内容を理解するという動きが「自我防御システム」の中で反抗が起きずに済むのか????済むわけがない、、、となります。

自我そのものを否定するのは難しい

自我そのものを否定し、、それに気づかせるよりも、、、自我形成の背景を理解し、、自我の必要性を完全にチューニングするのが安全なやり方であると今は分かります。自我形成はこの体を両親から見捨てられないように発展した、、だから自我の存在否定は、、この体を抹殺させてしまう恐怖心の起き上がりを招く、、この事実に向き合ってプロセスを歩むほかありません。

この命すらも

絶対的安心感

鳥と人間どちらが安心した生き方をしているのでしょうか???完璧に鳥です、、老後を心配する鳥は皆無です、、、、鳥は老後という概念がなく、、老後を経験すらせずに普通に命を終わらせます。人間は老後という概念を作り出し、、それを怯えながら生きていくのです。鳥は本質の現れそのものでありそれゆえ心配というエネルギーに支配されないのです。

人間だけが本質から離れる

人間だけが本質から離れた生活をしています、、この体を守るために発達した自我防御システムに則った生き方をしています、、自我防御システムは自我という存在を前提にした反射システムです、、、この反射システムが全現象に対し働き、、、思考、行動、感情が起き続けています。。。このシステムは事実とは異なる存在を前提としたシステムなので苦しみを伴います。ですが体を安全に保つには有効に働きます。

生命

我々の本質はこの命ではなく、、、生命そのものです、、、この命という概念を創造するエネルギーそのものです、自我防御システム、自我反射システムを維持するエネルギーそのものです。何も心配しなくていいのです、、心配は起こったとしてもそれを起こすエネルギーそのものなのです。すると一体全体この私は何を守ろうとしていたのか??という気づきが起きます。

マニュアル

本質を完全に忘れる

本質を完全に忘れてしまった状態、、この状態での自我反射システムは、、マニュアルを求めます、、パワー(本質)というものがこの体内に在るという認識は全くありませんからマニュアルに支配されて安心したいわけです、、マニュアルを完璧にこなすことに意識が向きます、、、ですからどの組織でもマニュアルが重宝され、、個人はマニュアルに安住するのです。

本質に気づき始めると

本質に気づき始めますと、、、本質とはパワーそのものですから自我反射システムに緩みが生まれます、、本質を信頼する自我反射システムが働きます、、、外の何かを求めなくても内側に大きなパワーがあることを意識した自我反射システムが働きます。。。自我はこの強力なパワーを発見した自分という役回りをします、、、そしてこのパワーをこの夢の世界の中で自我拡大に利用するのです。これは苦しい状態です。

本質のパワーの悪用

本質のパワーに気づきが起きたことで、、自我反射システムは、、、このパワーを利用した自我拡大を行なっていきます、、このパワーをこの体の維持に有効利用しようとします、、、疲れない私、仕事ができる私、判断力がある私、、などなど、、、自我が拡大します、、、自我反射システムが強化されていきます。ですがこの状態を続けても苦しみは解消しません。

このパワーって本当は何だ??

気づきの意識を強く意識していきますと、、、徐々に自我そのものを疑うという動きが起き始めます。この苦しみを生み出しているのはこの自我記憶システムではないか???本当はこのパワーはパワーそのものであって、、自我はそれを自分のモノという勘違いを起こしているのではないか???という気づきが起き始めます。そして突然、、実はこの自我はパワー、本質が生み出した、、体を守るための防御システムに過ぎないことに気づきます。

自我が存在しないと時間も存在しない

本当の理解が起きますと、、ここには時間が存在しないことが明白になります、、、自分も他人も確実に存在しないという理解は同時に時間も解消させます、、そして自分、他人が存在をしないが理解できますと、、空間すらも実はないという理解が起きます、、時間、空間、自分という実在しているはずだった存在が一瞬で消えます。ですがそれでも何も問題がなく生活が続きます。