真我探究(アートマヴィチャーラ)
あなたの世界の登場人物の99%は世界探究者でしょう。ローカヴィチャーラ、、、世界を探究し、私の幸福を求めていきます。YOUTUBEを見れば、、政治、経済、スポーツ、エンタメ、、、なんでもござれです。その目的は「私の幸福」です。世界の中でいかに私は幸福になるか、、、ローカヴィチャーラを実践します。ですがこれでは絶対に絶対に幸福になれないのです。なぜか????世界とは自我OS(固定観念)によって映し出された映像世界に過ぎないのですから。。世界を探究する(自我OS=心)こそが新しい世界を創造するに過ぎません。
だから
だからあなたは世界の中で幸福にはなれません。世界の中心に「私」というプログラムが最初にあってそこから派生するプログラムこそが世界です。世界の中心で愛を叫ぼうがなんだろうが、、最初からそうなんです。世界を支えているのがまさかの「自分=無知」です。つまり世界自体が無知で形成されています。その中でなぜ幸福になれるのでしょうか???
つまり
我々は最初からスマホ(至福)であってそこから逃れることは絶対にありません。ですが自我というプログラムが作りだす世界(ディスプレイの中)の体を同一視し、、、この体を通じて幸福になろうとするわけですが、、この世界はスマホの中の映像に過ぎず、、そこには幸福がないのです。スマホはスマホであって、、映像はその一部に過ぎず、さらに体も微細部の映像です。この体の中に幸福(スマホ本体)があると勘違いして自我OSによって粗大な世界を生み出し幸福を探すというトンチンカンな行為が(カルマ)と呼ばれるわけです。
トンチンカンな行動
我々がやるべきことはトンチンカンな行動を辞めてしまい、、私とは誰か????を追求する、、、それだけでいいのです。スマホで在る我々は最初から幸福であり何も必要としないのです。たまたま自我というプログラムが立ち上がり、、OSを生み出し世界を作ったのです。この自我OS世界自体は、、、なくてはならない代物なんですが、、その誕生理由は同時に不幸を生み出すのです。だからもうこの仕組みに気づいて、、スマホ(真我)である自覚を誕生させましょう。。スマホは画像によって幸福にしてもらう必要が全くないのです。画像にはそんな力はありません。スマホ(真我)は何一つ与えられなくても最初から至福なのですから。