真我
我々は真我です。我々は「至福」です。我々は愛です。なぜ愛であり至福である我々が何かを獲得したがるのでしょうか???あり得ないことです。愛であり至福である我々はただそれだけで至福であり愛なのですから何かを得たいという衝動はあってはならないのです。つまり何かを強烈に手に入れたい衝動の奥には「不幸」が確実に存在するのです。だから何を手に入れようとしないでください、それに多くの時間を費やすのを辞めてください。そうではなく根本の不幸を捨てるのです。
どうやって?????
愛であり至福そのものである我々が不幸になること自体がおかしなことです。ではどういう経緯で不幸が生まれてしまったのでしょうか???愛であり至福がなぜ不幸に陥るという事件が起こったのでしょうか???そこを知る必要があります。ではお答えします、、、、、、。愛であり至福である我々は、、、、大前提として愛、至福以外になることができません。どう足掻いてもそれ以外にはなれないのです。一瞬でも愛、至福以外にはなれっこないのです。つまり今、我々は愛であり至福そのものです。
え?????
真我である我々は至福、愛以外にはなることができません。ですから何も心配しないでください。あなたは今も愛であり至福そのものです。では不幸はどこに生まれたのでしょうか????不幸は真我ではなく、、真我の影の中で生まれたのです。真我自体は愛であり至福ですから不幸になるチャンスがありません。ですからもしも不幸が現れ得るとするならば真我の影以外には不可能なのです。真我の影、、つまりこの世界の中でしか不幸は現れないのです。
この世界
なぜこの世界でのみ不幸や孤独、苦しみが起こり得るかといえば、、、ここは真我ではなく真我の影だからです。至福、愛そのものである真我では不幸は起こることはできません。だからここ、真我の影でのみ、、不幸が起こっているのです。だとしたらですよ、、、この世界が消えてしまえば、、、不幸も消えるのですよね???だったらこんな世界ない方がよくないですか????それがそうではないのです。この世界、この真我の影はなくてはならないのです。真我は愛であり、至福であり同時に無限でもあるのです。だからその無限の中には影も含まれているのです。
じゃあ
それは分かりました、、、じゃあじゃあ、、不幸を消すことはできないのですか???それができるんです。この不幸は勘違いが作ったのですから、、、、勘違いが消えてしまえば、、、不幸、孤独、苦しみという感覚も消えます。その勘違いが、、、この世界を実在とする考えです、この私を実在とする考えです。この勘違いこそが苦しみを生んだのです。真実では、、、この世界は真我の影であって、、実在ではないのです。この私もあなたも彼も全て影です。だから何一つ実在するものがないのです。
では
つまり、、、見える世界には何一つ実在するものがないにも関わらずこれを実在と勘違いして、、不幸が始まりました。ですから我々がやるべきことはただ一つ、、、全ては影であって実在は存在しないと思い出すことです。その瞬間獲得できる対象も獲得できる私も消え去り、、、ただ実在である真我だけが残るのです。真我だけが残った時、、至福、愛が、、、この影の世界に湧き出てきます。不幸や苦しみが影の中に現れません。影は影そのものとして自覚され、、、真我の影に戻るのです。