幻想、幻想、幻想

感じる

太陽、風、緑、植物、道、人物、私、この体、、、全部全部幻想ですが「感じる」ことができます。この世界に起こる幻想の全ては「感じられます」。日の光、雨、台風、嵐、怒りの表情、悲しみの表情、歌、、全部「感じられます」ここに起こる現現象は現れて消えていく幻です。よって「私」と呼ばれる自我も現れては消える幻です。この体も現れては消える幻です。

感じる

この世界で唯一消えないこと、、それは「感じる」という現象です。これは常に起こります。音がない時「静寂」を感じます。光がない時「闇」を感じます。怒りがない時「平安」を感じます。熟睡から目覚める時「熟睡していた」を感じます。この世界とは「感じる」という永続の中にあります。朝起きて寝るまで「感じる」が永続するのです。全人類全動物にこれが起こっています。

私がこの木を感じた

「私がこの木を感じた」という思考が突然起こりそれが「感じられます」。「私がこの光を感じる」という思考が起こり、それが「感じられる」が起こります。ですがその思考の内容は真実ではないので同時に「違和感」が感じられてしまいます。「私」という幻想は「感じられる」ものであって「感じる主体」にはなりえないのです。だから「違和感」が起こります。「違和」が「感じられる」が起こるのです。誰が感じているんですか?????これを感じることができる「幻想」は存在しません。ただ「感じる」が起こるのです。現象として。

悟り

悟りとは「真実」と「真実以外」をはっきりと理解することです。「真実以外」の言葉による思考が起こった時に「違和感」が起こることを明晰に観察できることを「悟り」と呼びます。「真実」を表す思考が起こっても違和感は起こりません。「真実以外」を表す思考が起こった時に「違和感」が起こります。「私は怒りを感じる」は「真実以外」です。「怒りが起こった」は真実です。「コーヒの香りを感じた」は真実です。「私がコーヒーの香りを感じた」は「真実以外」です。