地獄
今が苦しいから心は世界を彷徨います。彼氏ができれば幸福になれるかも、彼女ができれば幸福になれるかも、好きな仕事に就けたら幸福になれるかも、、結婚できたら、、家を買えたら、、株が上がったら、、、、、と心は世界を彷徨います。その理由は今が苦しいからです。この状態を仏教では「無知」と呼びます。ですがなぜ今苦しいのか???ここを知らない、、ここに気づけないから、、苦しいのです。では回答します。世界に幸福があると信じているから苦しいのです。世界は、、、真我=幸福、の影です。影の中を彷徨ってもそれは影です。幸福は影の中にあるのではなく、、影の大元にあるのです。
影の大元
ではその影の大元はどこにあるのですか????いま影が見えますね????今確実に世界という影が見えるわけです。その影に気づくことができるのは紛れもなく「実在」です。世界という影に気づく実在が存在しなければ、、、世界に気づくことは不可能なのです。だからこの世界の気づきこそが実在である真我です。そしてここがそのまま幸福です。にも関わらず我々は見える世界の中に「私」が存在すると信じます。見える世界という影の中に「私」が絶対的に存在すると確信するわけです。その結果、「この私を守らなくては」という恐れが生まれ、、苦しみが起こるのです。
世界じゃない
私を救ってくれるのは世界の中の何かじゃないしい、、私もこの世界の中には存在しないのです。私はこの世界という影の大元「真我」です。世界という影に気づく「気づき」の存在です。だから、、、勘違いしないでください。私も救ってくれる何かも世界の中ではなく「気づき」の中です。気づきこそが幸福であり、私です。私がそのまま幸福だったのです。にも関わらず世界という「私の影」を見て、、、この体の所有者が私だという勘違いをし、、不幸になったのです。不幸は幸福の後の後付けです。この後付けされた不幸が苦しいから、、そのまま世界の中に救いを求めたのです。これが無知です。貪りです。執着です。