紙一重

真実と真実以外

「悟り」と「悟り以外」は紙一重です。全くハッキリと異なるならばわかりやすい、、究極を言ってしまえば180度異なりますが表面上はさほど変わらないのです。例えば「この体」「100%ある」と感じます。感じます、、ですが100%幻想です。この違いわかりますか????「感じる」は100パーセント、ですが幻想であることも100%です。多くの方はここを乗り越えることができません。感じるんだから「在る」だろ!!!!と言います、、違います、、感じてもないのです、リアル蜃気楼です。

蜃気楼

蜃気楼は「在る」と100%感じれる幻想です。80億人が100%あると感じれる幻想です。この世界はこの100%「ある」と感じれる幻想で成り立っているのです。見える蜃気楼、聞こえる蜃気楼、触れる蜃気楼、味わえる蜃気楼、、嗅げる蜃気楼です。これでどうでしょうか?????分かってもらえそうですか????そうなんです。感じれるから「在る」は嘘です。感じれるだけなんです、この世界は。

誇大妄想

感じれるから「在る」自由意志を感じれるから「在る」この体は感じれるから「在る」この自分も感じれるから「在る」この私の人生も感じれるから「在る」はい全部蜃気楼、幻、幻想です。そこが本当に本当に腑に落ちますと、、悟りです。全部が幻想で幻だった、、、、感じれるから実在と思っていたけど、、、、そういえば感じれるから幻、蜃気楼、幻想って言うんだった。。。。俺はいったい何をやっていたんだ笑。砂漠の上にはっきりと水たまりが見えるからそれを幻と言っていたじゃないか!!!!!!はっきりと「見える」「触れる」「嗅げる」「聞こえる」「味わえる」からこそ幻と言っていいのです。そしてこれは全部幻です。

幻の認識だけがある

空即是色、、これがひたすらに起こっています。空という「不変の自己」から色という「変の自己」が現れ続け、、認識が起こり続けます。この認識が今我々が起こしている「認識」です。体に気づき、香りに気づき、光に気づき、色に気づく、、この気づきがまさに空から色の現れによって起こります。だから今「気づく」が起こっています。この「気づき」を幻としての「私」がやっている、、というのが人間活動という幻想です。全部幻想です、そして幻想は気づかれます。

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