太陽

真我

この幻想の世界で「太陽」という存在が現れていることは大変面白いことです。なぜならば太陽は真我の自覚に大きなヒントになるからです。太陽があります、そこから光が起こり、、惑星を照らします。太陽は太陽以外を見ることはできますが、、太陽だけは見ることができません。太陽の光で太陽以外は確実に照らされ発見されますが、、太陽のみは見つけることができないのです。真我も全く同じで、、、真我は真我以外には確実に気づくことができます。今のこの視界、音、思考、感情、、、、全てに気づけるのはそれが真我ではないからです。

非真我

真我が発見できるのは非真我です。太陽が発見できるのは非太陽です。太陽の光によって照らされる「惑星」を気づきの主体と勘違いしたのが自我です。惑星は気づかれる側であって気づく側になることは不可能です。にも関わらずそういう間違った思考が起こったわけです、これが自我という思考です。事実では「真我」「太陽」だけが気づきの主体であり真我、太陽なしでは何も起こりはしません。

我々

我々は太陽と同じく、、全てを照らす存在です。我々が発見できるものは太陽の光によって、真我の光によって照らされたものだけです。真我である我々が存在しなければ、、全知覚は起こらず、、、全知覚は真我の影です。今もこうして世界が存在して見えるのは太陽である真我が存在しているからです。太陽という存在は真我の存在のホログラムです。