ここには十分が存在しない

私はまだ十分じゃない

私はいつも十分じゃないんです、これまでの人生振り返ってあの一年は十分しか感じていなかったなーってないんです、過去を振り返ってそんな経験したことないはずなんです。なぜか????「私」という存在感覚こそが分離の存在だからです。分離しているから十分を探すのです、、ですが探す場所が私以外の場所なんです、、そこもすでに分離していますから十分はここでは見つからないんです。

このトリックを見破る

このトリックを見破らない限り、、「私」は飢餓状態餓鬼畜生状態から全く抜け出れないんです。常に次次次の連続です。。じゃあこの理屈は分かった、、で十分は手に入るのか??????入りません、、なぜならば思考はこの事実を理解できないからです。脳はこの事実を理解できません。私という感覚が実はフェイクでただの思い込みであることに気づくのは「十分という存在」です。でました「十分という存在」

私が十分を探すのは???

私が常に十分を探し求めるのは、、、本当の私自身が十分だからです。え????????そうなんです、、体の中の私を演じているのが「十分過ぎる自分」なのです。だから「私」を演じると不足感が湧くんです、、そしてこの不足感を埋めてくれる何かを探し続けるのです。あるわけがないのですが、、、。そしてそしてこの真実に気づいた時に、、ずっこけちゃうんです、、何のこっちゃです。そうなるともこの中の私に関心がいかなくなり、、関心が行かない「私」は存在感が薄れていき、、、もう私が立ち上がらない、、になります。すると真の安らぎ、真の平和、、真の安心感が芽生えてきます。

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