気づきの動きがなぜ気づきを発見できるのか?

私とは気づきが動きその動きの「様」です。つまり動きなのです、私とは。その気づきの動きである私は気づきではありますが全ての気づきではありません。その気づきの動きである「私」は他人(気づきの動き)を発見した時、私とあなたは別な存在だという新しい動き(思考)を生み出します。俯瞰してみれば気づきという海の中にただそのような思考(動き)が起こっているのが分かります。というよりも気づきの分離など不可能なことが分かるのです。

世界は最悪

私は孤独で無力にさせた世界は最悪だという気づきの動きが「思考」です。ですからどこを探してもその「私」を見つけることができません。見つかったのは全て気づきの動きなのですから。気づきの動きが気づきの全動きに気づくことは不可能です。なぜならば「私」とは気づきの動きに過ぎないのですから動きが全体に気づくのはあり得ないのです。