悟りを本当に知りたい人などほぼ皆無

マリオゲームの途中でクリアー後のことなどどうでもいい

これは人間ゲームです、人間が実在するという大前提で行われるゲームです。人間は次から次へとお題、目標、問題が与えられそれをこなして生きていきます。その際になぜこれをするのか?なぜこんな目標があるのか?など基本考えません、考える必要もない。なぜ就職するのか?なぜ結婚するのか?なぜ子育てをするのか?なぜ、、、これらを真剣に考えたところで答えなど出ないし苦しいだけです。そんなことよりも重要なことは今目の前のお題をこなすことです。

人生のお題をこなし続けた時に初めて興味が出る

人生のお題を真剣にこなし続け、結果も出し続けた時に、、いつまでこのお題をクリアーすれば自分は幸福になるのか?という疑問が湧いてきます。まあまあ真剣にお題に取り組んできた、だが一体いつ本当の幸福に辿り着けるのか?こういう疑問が湧いてくるようになります、自然と。こうなるともう目の前のお題に真剣に向き合うことができなくなります。それはもう何千回もやってきたからです。

目の前のお題をクリアーしても幸福になれないことは知っている

何度も人生のお題をクリアーしてきた人は、次に来るお題をクリアーしてももう幸福がないことを重々知っています。周囲からの称賛も、周囲からの評価も、収入も、安定も、全部自分を幸福にしてくれないことは百も承知です。その時にこの人間の苦しみとはどこから来ているのか?という漠然とした疑問が湧くようになるのです。このお題処理ゲームを続けることはできない、その奥にある原因を解消したいという真の探究が始まります。

確かにこれは見抜けない

ついに悟り、自己超越に興味を持ちそれを学んでいきますとその境地は確かに普通に生きているだけでは捉えられないことを悟ります。なぜならばこの自分が実はいないというメッセージは衝撃的であると同時に怪しすぎるからです。特に自我はこの手の情報を完璧にシャットアウトします。これは機械反応、脊髄反射的に遮断します。自分という神が編み出したこのアイデアを人間ごときが見抜くなどほぼ不可能に近くそれゆえこの手のメッセージを学ぶことはリスクが多いことになるのです。

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