「自分が苦しみから解放されたい」と思っている

これが苦しみ

本当にギャグのような話なんです。『「今苦しい」という認識が起こりました。』その時「この苦しを感じたのは私だ」という概念が湧き出ます。まさにその思考この思考こそが「苦しみ」を作るんです。『「今楽しい」とおう認識が起こりました』その時「この楽しいを感じたのは私だ」という概念が湧きます、まさにその思考、この思考こそが「苦しみ」を作ります。

喜んでもらえた

「話をしたら喜んでもらえた」という認識が今起こりました、、、、まさにその時「喜んでもらったのは」私だ、、、という概念が起こります、、その思考、この概念こそが「苦しみ」を起こすのです。喜んでもらった、嬉しい、楽しい、、、、、、の次に「苦しい」が起こる、、、、なぜ?????????それを「私」がやった、、、という概念が続けて起こったからです。

自己防衛

この体を守るために「私がやった」という概念が湧いても全く構いません。このプロジェクトで多大な貢献をできた、、、それをやったのは私だ、、、、という概念が抜け落ちては、、労働をお金に返ることができません。だからそれが悪いということではないのです。ただしそれを認識する視点を所有しない限り、、「苦しい」が止まりません。「自我をベースにした思考の起こり」を認識する視座を所有する、、、、これがこれからの新しい時代の「生き方」(本当はない)です。

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