目立てないならば

不幸で目立つ

エゴは特別扱いされるならば、、何でも実は良いのです。学校の成績で目立てないのならば校則を破って目立とうとします。行きたい学校に入れないのならば、、学校に行かないという方法で目立とうとします。サッカーで目立てない時、ラフプレーで目立とうとします。そうです、、存在が認められるのが目的ですから、、目立つならば何でも良いのです。

その動きを見切る

重要なことは、、そのことを見切ることです。本人は全くやりたくてやっていないのです。。。ラフプレー、不登校、校則違反、、、、やりたくてやっていないのです。目立たないと自分がなくなってしまうという危機感がそれをさせています。自分というのは本当はなくてただの生命活動が起こした思考です、、その思考の内容を「真じる」が起こった時に「苦しみ」が生まれ、、この「苦しみ」を消すために、、あらゆる動きを見せます。それがラフプレー、不登校、校則違反です。思考の内容を「信じない」が起こった時、、もう「苦しみ」自体が消えます。

信じない

悟りとは思考が繰りなすイメージを「信じない」が起こることです。悟りとは思考が作り出す無限のファンタジー、夢、物語を「嘘」と見抜くことです。本当は全部が全部生命活動です。。生命活動しか存在していません、この私も思考という生命活動が作った想像物です。思考が作ったイメージを認識し、それは真実だ!!が起こると、、「苦しい」が起こります。真実とは、、全思考全感情全行動が勝手に起こり、、そこにはコントロールする「自分」は居ません。自分とは勝手に湧き上がった思考のイメージです。自分すらも実は勝手に湧き上がった思考によって作られた被想像物です。