自我の分裂

思考、感情、行動を起こしていない自我

実は自我は思考、感情、行動を起こしていなかった、、、この事実が理解できますと、、、、自我の存在は急激に小さくなります、、、絶対王政を敷いていたはずが、、、、突然、、、自我は、、ただの名前に成り下がってしまいました。絶対王政、、全部が全部この「私」がやっていたと信じていたのが、、、何もやっていない、、、窓際の係長と同じ、、何もしてない、、、、名前のみ、、、、、

名前のみなら、、自我ではない

名前のみ、、、これが自我です、、、すると自我というネーミングも堅苦しい、、、となります、、、これが自我の終焉です、、、ですが日常生活を送れば、、、さもこの「自我」ありきの反応がエンドレスに続きます、、、〇〇さん、、仕事を責任持ってやってください!と、、、、責任を持ってやるのは〇〇さんという自我の存在が絶対的にあるという前提の話ばかり、、、、、これでは辛い、、絶対に辛い、、

社会は自我ありきで周る

社会に出ると何が辛いのか???それは責任の全てがこの自我にかかってくるわけです、、、ただの名前でしかないこの自我に全ての権限が集まっているかのうような、、話の展開の数々、、、、で辛くなる、、しんどくなる、、、なぜならば、、、自我にはそのような力が存在しないのですから、、、統制できる力がないにも関わらず、、、できることになっていて社会が成立している、、、なんという悲劇でしょう。

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