社会通念

ごもっとも

「自由意思」これを認めることは民主主義の根底であり、、正義のような扱いです。そして自由意志は100%あるように感じますからこれを社会が認めるのは至極当然です。子供、大人、老人100人に聞けば自由意志はある!!!と100%が答えるでしょう。ですがないのです。我々は外部環境に対する「反応」を自由意志と呼んでいるのです。

中華屋の前で

中華屋の前を通ります「ニンニク、ごま油、香辛料の香」が香ります。。。。「ラーメン食べたい!!」がある人間の中で生まれました。。。。これを「自由意思」と呼びます。。。。これ反応です、、外部からの内部反応です。自由意志でしょうか?????本当に自由意志ですか????我々は生まれて死ぬまでこれを連続で行っているのです。

反応

我々は外部によって刺激された内部の反応を自由意志と呼びます。TVを見て何かが反応する、、Yahooニュースを見て何かが反応する、、友人との会話を通じて何かが反応する、、、これを延々とやっているのです。これを自由意志と呼んでしまったことから、、、責任と呼ばれる重い重い重りを背負わされ、、生きています。

誰も何も決めていない

環境からの刺激に内部環境が反応し内部環境の反応に外部環境が反応する、、ただこれだけが起こっています。本当は何も起こってもなくただ反応反射だけが起こり続けているのです。自分が居るという思考すらも外部環境からの反射であって悟りとは「自分が居る」という思考の反射が起きない状態に至ることです。そのために真実の認識に至るのです。真実の深い認識が「私が居る」という思考の反射を止めます。

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