人間とは神の欲望体験機

神では経験できないことを代わりに体験する道具

体験という言葉が非常に的を得ているのは、人間が行う経験は全部体験に決まっているわけでこの言葉に体が入る必要は本来ありません。ですがなぜ体験という言葉が存在するのか?それはこの現実が神の見る夢であり神が人間体験をしている場所であるということです。現実という言葉もやはり的を得ていて実が現れると書きます。現れるとは夢の中であらゆる登場人物、状況が現れることです。夢だからこそこの現れるという表現はベストです。神が人間としてこの現実を体験する、それが神の夢です。

神はそのままで完璧故に欲がない

神は完璧です、ゆえに何かになりたいとか何かを叶えたいという欲が湧きようがありません。だからこそ神が夢を創造しその中に人間という主人公を起きました。この主人公は神に比べてひ弱で、脆弱、知能も低く、想像力も低い、、ということで神は初めて欲を手に入れることができたのです、より強いもの、より優秀なもの、より大きなもの、より創造的なもに対してです。人間という体を自身と勘違いできている間はこの欲望をベースにした人生を歩むことができるのです。

この事実を分かったところで一体どうすればいいのか?

人間の欲望に限りがなくだからこそこの人間物語は延々と続いて行くわけですが、では今後どうしたらいいのでしょうか?私が推奨するのはこの欲望を叶えることで逆に神になってしまうということです。欲望を叶えることに無心、無思考になることで人間であるための条件、思考を抜け落としその場で神に戻ってしまうということです。神の人間体験を利用して神に戻るのです。意識を今に集中することで時間の世界(夢)から抜け出し神になります。神と人間を往復します。ほとんどの時間を神で入れる人間を覚醒者などと人は呼びますがメカニズムを知れば誰でもできます。TVゲームに集中している子供はその場で神になっています、思考が抜け落ちていますから。大人はこれを意図的に行います、大人はこれを積極的に行うことができます。

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