神はこの夢の中で人間を作り五感を授けた

人間は五感でこの夢を構築する

神はこの夢の中で人間を作り人間体験を積むことにしました。人間に五感+思考+感情という7つの感覚を授けこの夢を想像しその中での体験から思考、感情を湧き出すように設定しました。五感によってあたかもこれが先ずは現実であるかのように創造する超ハイスペックなバーチャルリアリティーショウを作り上げたのです。神が人間に成り切っているわけですからとてつもない欠落感、欠乏感が湧いてきます。神には人間は不自由すぎるのです。そのためこの不足感、欠乏感をなんとか埋めようと人間に成り切った神はこのバーチャルリアリティーを動き回る、彷徨い歩く、貪り続けるのです。この状態を仏教では飢餓、畜生と呼びます。なんのことはない神が人間になって驚くほどの欠乏感を味わい貪っているだけなのです。餓鬼、畜生とは貪った状態の人間の顔をした神です。神が人間のあまりの不自由さに驚くほどのストレスを感じている状態を地獄、餓鬼、畜生、菩薩と表現を変えたものです。貪った状態からいかにその欲求を次元上昇させていくかになります。

人間の五感+思考+感情はゲームの醍醐味

もしも人間に思考、感情を与えなかったらこの夢、バーチャルリアリティーは驚くほどに味気ないもになるでしょう。感情、思考があるからこそ人間は行動します。行動しない人間は神そのもの、そこに体験はありません。五感+思考+感情、これがこのゲームの基本デフォルト機能でありこの7つを駆使してこのゲームを貫徹することになります。経験によって思考が変わり、それによって感情も変わっていきます。人間は最終的に至幸とは何かを探索する主人公です。ゲームのクリアは究極、延々の至幸に行き着くことです。なぜならば人間とは欠落感発生器でありその対極が大満足、幸福の局地です。延々の至福を求め続けるこの大冒険は至福に辿り着くまで続きます。

人間という体を持った状態で至福には基本たどり着けない

神が自身を人間であると勘違いした状態で至福に至ことは不可能です。それは人間であるという思い込みこそが不足感を生み出すのでありその状態は至福とは対極です。相反する状態、矛盾状態にあります。パラドックスです。神が自身を人間であるという思い込みの呪縛を解き、自身が神であったことを思い出す時が至福です。なぜならば神=至福だからです。この五感+思考+感情という7感体験ゲームの中でいかに自身が神であったかを思い出すか、ということになります。

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