自我(寄生虫)ゲームから抜けると

幼稚園の先生

幼稚園の先生は、生徒の誰が人気者で、誰がモテて、誰がスポーツ万能です、誰が勉強が得意で、、、ということで心が惑わされることはありません。別にどの生徒がある分野で秀でてようと劣っていようと全員が可愛いのです。自我(寄生虫)ゲームから抜けるとそのような感覚で人を見ることができます。見るというよりも感じるのです。自我(寄生虫)に振り回される人々を過ぎ去った過去のように懐かしく感じるのです。

寄生虫を自分と信じる

自我の動きは間違いなく寄生虫のようなものです。自我は不幸に依存しています、、不幸を自ら作り出すという動きは至福からすれば寄生虫のようなものです。これをベースに体を支配するのですから自我とは寄生虫です。この寄生虫に人生を牛耳られた状態は、自暴自棄の状態とも言えます。つまり誰しもが自身で自身を痛めつけながら生きているのです。その状態を見て、、恨むとか怒るとか責めるとかの感情が湧かなくなります。

優劣

自我(寄生虫)は優劣にこだわります、なぜか?????苦しいからです、、苦しいから人よりも幸せであるという盲信に縋りたいのです。比較の中でしか自分は幸福に違いないと信じることができません、ですが本当に幸福であるならば気にするはずがないのです。本当においしいラーメンを食べた時に、、、あのラーメンよりもとか、、他店の味を気にするでしょうか???しないです、、だって今幸福だから。つまり比較したいが起こっている時点で不幸なんです。

〇〇よりはマシ

今の仕事は辛いけど、、〇〇よりはマシだよね。。。この仕事収入少ないけど〇〇よりはマシだよね。。。比較の中で安心する自分が居たら要注意です。不幸です、、今不幸だから、、比較の中でしか安心できないのです。多くの方は比較の中でなんとか安心して生きます、これは不幸と不幸を比較して安心するというテクニックに過ぎません。本当の幸福とは比較をしようが抜けた状態です。

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