背景としての自覚

鳥が鳴く

背景としての自覚がでてきますと、、鳥が鳴くだけで、、自分の中で自分が鳴いているような愛を感じます、この愛は対象への愛ではなく、、存在そのものから声そのものへ起こる愛です。この体の私から出る愛ではなく声そのもに存在から愛が起こるのです。そして今まではこの体の私から感情が起こっていたのも分かります。ですが背景としての自覚が起きますと背景から直接感情とは違う何かが起こるのです。

光が背景で輝く

光が背景で輝きます、それまでは光がこの体である私に向かって輝いていたのが光が背景で輝き背景がこれを感じます。同じ光なのに全く違う光を感じます。それはそのはず光を感じる主体が違うのですから。ですが本当のことを言えば光を感じていたのは最初から背景でした、ですがその後の体の「私」が私に向かってるというストーリーをその場で作っていたのです。ですからそれももう思考のフィルター越しの光なのです。

花が咲いていても

花が咲いていても、、その花は、、人が所有する花である、、、この思考が瞬時に湧きます。ですが背景としての自覚が湧きますと、、花はそのまま背景で咲いているのが分かります。背景が感じる花は誰からも所有されずただ花として咲きます。そしてほのかに愛が生まれます、その場から。

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