仏の中で遊ぶ

仏像を拝む

仏像とは、、拝むものではありません、、、実は仏像は、、我々の本質の象徴です、、、我々が仏像という無限の存在であるという気づきを得るものです。。。仏像という無限の存在の中で今はこの体を遊ぶという行為をしているという体感を得る場所です。仏とは対象ではなく、、、まさに自身が完全な仏であり、、これは仏の鏡の姿であり、仏の鏡の姿の中で、、体験だけが存在しています。

無限の体験をできる

一人の人物を大勢で写真を撮ります、、、、一人100枚の写真を撮る、、、、100枚が完璧に違った写真になる、、、たった一人の人物が全く違った絵になる、、、、これがこの世界が無限である証拠です、、、この世界が無限の鏡、仏の鏡の世界である証拠です。鏡の世界の中でなぜ経験が積めるのか????おかしいではないか???感じているのは無限そのもの、仏です。。。無限の経験が起きることで、、無限は自身が無限であることに気づくのです。

本当の神は???

本当の神は???キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、、、、無限です、、、神の本質は無限ですから神は無限の表現をできます、、、、八百万の神、、、無限という意味です。。。どっちが本物か論争は無駄です、、無限の神の表現ができる世界がここだからです。

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