信頼されるということ

自我と自我に信頼関係はない

本当に人を信頼するといのはどういうことでしょうか???毎日顔を合わせているから信用できるか???全くできません、、、むしろ不信感こそが募る可能性がある、、、信頼できるとは、、、その人の在り方がどの状態にあるかに依存します、、つまり、、、このストーリーに完全に取り込まれている人は損得でしか動けないので信用できない人になり、、、ストーリーをストーリーと見抜き、、ただ在るがままに生きている(人)と信用されます。。。損得の世界から脱出できたからです。

裏切られる

これがストーリーだと気づいていない人を信用するのは不可能です、、このストーリー上でなんとかこの私というイメージを生き伸ばしているだけですから、、、苦しいが常に伴い、、、本当の中で信用されるような行動を取れていないことを誰よりも自覚しています。ですから人を信用する、結果裏切られるという一連のプロセスは、、、信用した方がダメなのです。

みんな自分のことで精一杯

信用されるにも、、、みんなこのストーリーでは自分のことで精一杯です、、、信用されるような生き方は全くできていない、、だから信用してもらっても辛い、、、だって期待に応えられないから、、、、悟りが起き、あるがままで生きることができれば、、、まだストーリーの中で生きている人に期待を持つのは嫌味なことです。なぜならば誰も皆自分のことで精一杯だからです。

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