夢であることを最後まで信じたくない登場人物達(自我)

なぜこの話題には登場人物達は食いつかないのか?

この世が夢であって登場人物である我々は実は存在していないし独立した個人もいない、この手のお話をこの夢の中で他の登場人物に話をしてもあまり聞く耳を持とうとしません。ぜひその話を最後まで聞かせて欲しい、とはならないのが面白いところです。あらゆる宗教の教義であってもこの世は夢だと断じるのが少ないのはやはり夢物語上人気のない話題なのかもしれません。というよりも人格を持った人間であると勘違いする登場人物の存在自体を否定する内容が聞き入られるわけがないということです。

誰もこの話題をしないのならば自ら進んでこの闇を暴露するしかない

私(登場人物)もこれまでこれらの話題に触れてきたのですがどうしてもこの話題が腹落ちしませんでした。やっぱり自分の存在を絶対に否定したくないし今までの苦労は一体なんだったのか?そんな悲しい結末は冗談じゃないという気持ちが湧いてきて見たくないわけです。ですが心の奥底(全存在)ではどこかでホッとする感覚、これしかないよねという一種諦めがありました。サレンダーという言葉になるとは思いますがもうこれを受け入れるしかないという残念だけど安心という感覚です。個人がいない、この世は実は夢というこの大どんでん返し以外やはり落ち着く場所はないのです。

成長し、進化し続ける個人が赤ちゃんを見たときの敗北感はここだった

人間とは成長するのが素晴らしいこと、進化し続けるのが素晴らしい、神に向かって自身のバイブレーションを上げることが本望、アーユルベーダ的にエネルギー上昇が決めて、、、あらゆる自己向上に励んできた自分ですが赤ちゃんや子犬、無邪気な子供達を見る時になんともいえない虚無感を抱えていました。本当にこの歩みでいいのか?何かが違うのではないか。。。ですが今でははっきりとわかります、進化しようとするこの個人こそが苦しみの原因、進化しようと退化しようと個人であるという思い込みを持つ限りこの苦しみは解除されない、、これが夢だと諦めることなし安堵、歓喜、安心、平和が訪れないことを悟りました。

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