それでも私はやっている

必ずそこに帰る

なるほど、全部真我がやっているんですね、、、そこに自我が出る幕もなければ、、自我がやっているという思考が真我から出ていただけ、、、なるほど!!!ですが、、、一歩外に出ればそれを忘れる、、、個人がグワっと出てきて個人が全部をやっているという錯覚の世界に戻る、、、なぜならば道ゆく人々全員がそう思考して生きているから、、引っ張られる、、、誰も個人を含めた全活動を真我がやっているととは思っていない、、その気づきが起きていない、、、

だから山に篭った

昔は悟りを開く際には山に篭った、、これは理解できる、、、どうしても周囲の感覚とのズレがでる、、周囲は個人活動をしている〇〇さんとして扱ってくる、、これに騙される、、誰が????騙されるという動きが真我から生まれる、、、どこまでいっても圧倒的に個人が自由意思で自由活動をしていると周囲は思っている、、この中で真我の全活動スペースであるという腹落ちが起きない、、、これは本当に意識の完全なるシフト、、

悟りに集中する

悟りに集中した方が良い、、、というよりも事実として悟りの集中しないと、、、悟りが起きない、、起きにくい、、意識のシフトを日々忙しくしながら起こすのは難しい、、これは事実、、血反吐吐く覚悟でこれを行わないとなかなか難しい、、これが事実、、個人の活動に完全に興味を無くし、、、全活動が真我の活動であるという認識シフト、、、それでも勿論この体の活動は続く、、

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