意識が昨日は無かった?

意識がない、、、

朝から意識がなくて、、、昨晩は意識の調子が悪くて、、、聞いたことがありません、、意識とは熟睡状態以外は必ず感じているはずです。本当は熟睡状態も意識はあります、ただ記憶がないだけ、、、調子が良いという認識、調子が悪いという認識、、、これぞ意識です、、気づきの意識です、我在りです、全体です、、、

この意識を、、自我が取り込んだ

この絶対的な認識、、気づき、、これを自分が、この体が意識している、、と思考する、、意識する、、のがこの自分劇場の始まりになります、、この自分が、、TVを見ていることに気づいている、パソコンを見ていることに気づいている、、アタッシュケースを見ていることに気づいている、、椅子に座っているのに気づいているとなります、、、違います、、、全部、、意識、気づきの意識、我あり、、が気づいているのです。

アタッシュケースを見ているだけなのに、、静寂

ただそこに在るアタッシュケースを見る、、その時にこの自分が見ているという思い込みを外します、アタッシュケースに気づきの意識が気づいているのを感じます、、気づきの意識としてアタッシュケースそのものになります、、すると静寂もそこに在るのに気づきます、、この体の手も視界に入るかもしれませんがそれはボヤけています、、焦点が合いません、、これは3D映像です。

アタッシュケースが在る、、、から

アタッシュケースが在る、、、このことに気づきの意識として気づく時、、静寂に包まれます、、そしてさらにそこにはアタッシュケースという名前すらなかったという気づきが起こります、これはこの静寂が導きます、、、ただ現象だけがあります、、空から浮かび上がる色です、、そしてそこに気づく空(気づきの意識)

天才画家は、、、

天才画家は空そのもの、気づきの意識そのものとしてアタッシュケースが在るに気づき、、さらにアタッシュケースという名前すらないに気づく、、そこにはただ生命現象、色が在ることに気づきます、、アタッシュケースとそれ以外の区別差別もなくなり生命現象そのものを画くが起きた、、そこには画家という存在は居ない、、描くという動詞も外れる、、色の生命現象としての動きが在った、、、

意識はたった一つにしか意識できない

意識は意識ゆえにたった一つのことしか意識できません、、今しかないこの瞬間は今何かに意識するのみです、、アタッシュケースをただ見る、、そこに自分を介在させないでいると、、アタッシュケースが在るに変わります、、主体客体が外れます、、そして本当は見る者など存在していません、、すると静寂そのものになります、、