大和田菜穂さんについて思うこと

全体がそのまま話をしている

彼女の話す内容を聞いていると、、、全体が全体のまま話をしている感覚を覚えます。人間に成り切ってしまった全体ではなく人間のふりをした全体がただそのまま話をしています。役者はその役に成り切って話をします、、キムタクは毎回その役に成り切って話をするわけですが、、大和田菜穂さんは全体がそのまま役にならずに話をしているような感じです。

全体が全体のままか、、全体が役に成り切っているかの違いだけ

大和田菜穂さんもそれ以外の人も、、、全部全体です、、、その全体が、、役(私)に成り切っているかいないかの違いがあるだけなのです。。。この違いはそれで大きく役に成り切れば、、苦しみが強制的に湧きます、、、役にならずにそのままの姿であれば、、苦しみは湧きません。。。本当にこれだけなのです。ですから大和田菜穂さんからは苦しみを感じない、、、

主語は全員が全体、、、

主語は全体です、、、全体が「〇〇○男」になって人生を生きるか、、、全体がそのまま全体としてただ今を感じるかの違いです。全体が「〇〇○子」になって人生を生きるか、、、、全体がそのまま全体としてただ今を経験するかの違いです。この違いが苦しいか絶対幸福かを決めるのです。。。解脱、悟り、サマディ、ブラフマンとは、、全体が役に没頭していた状態から、、役から降りた状態、全体そのものに返った状態なのです。

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